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日蓮正宗妙信講 第十五回総会
本部長指導
日本の広布・国立戒壇こそ世界平和の鍵
国家諌暁なくして国家体験はおこらず
十万世帯 御入滅七百年までに達成せん
編集後記
▼ 「いざ! 一国諌暁の十万世帯へ」 「御遺命の戒壇建立 法華講精神」 二つのスローガンが掲げられた第十五回総会は、まさに歴史的な大総会であった。
▼ 総会の意義というものは、毎回 後になればなる程わかる、といわれるが、この総会より十日目、本部で開かれた支区部長会で指導された浅井先生の一言を耳にした時、「歴史的」といわれた事を肚の底から感じとり、妙信講のこれからなさんとする御奉公に
深い感動をおぽえた。
▼ 先生は申された、「実にいのちを捨てての 御遺命守護の御奉公によって、大聖人様より発言をゆるされた妙信講が、時に感じて、いままで漠としていた御遺命の国立戒壇建立について、その実践の具体的な道を、大聖人様の御指南のまま
口にさせて頂いたのである」と。
▼ 「妙信護は 評論家になってはならぬ」 「国立戒壇の正義を守りぬいた者こそ、国立戒壇建立に向って責任を持つ逞しき実践者たれ!」 と叫ばれた先生が、ここに具体的なる道を示されたのである。よくよく熟察すべきである。そして弟子たるもの
この大事、肝に銘じ、いよいよ力ある御奉公に立つべきであると 心に深く期した。
▼ さらに総会より四日を経た十月度総幹部会で 突如発表された全支部にわたる支区制と三十七人の支区部長の勢揃いは、一国諌暁の十万に向ってふみ出された浅井先生の
並々ならぬ陣頭指揮の気迫が滲み出て、全幹部の胸を激しくゆさぶった。全講は今、その新体制をもって
はずむような折伏を展開、十万への初陣・十一月に凄じい気魄が示されている。
▼ かねて浅井先生は、「七十年代は激動の年、そして本年は、その初期の山場である」と云われていたが、いま、仏法上に於ける「御遺命守護」さらには、謗法の日本が打った戦後最大の外交路線
「日中国交回復」をみるとき そのいずれもが将来の日本の運命を決する重大問題である事を思い、まさに本年は初期の山場であると
今更のように先の指導をかみしめるものである。
▼ 十一月三日、各紙の朝刊に一斉に報ぜられた 「他宗教とも協調云云」のある記事を見る。憤嘆を通り越して
怒りすらおぼえる無慚なる発言に、思い浮かべたのは 四十四年のあのいまわしき
聖人展の違法であった。源をここに はっきりみた思いである。
( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加 )
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