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元妙信講講員の皆様へ
昭和四十九年八月十二日
日蓮正宗管長 細井日達
今回 私は所定の手続きを経て本日付をもって妙信講の解散処分を行ないました。
昭和四十五年五月三日、日大講堂において私は大聖人の仏法が日本一国のみにとどまらず、全世界の民衆を救済すべき大仏法であるたて前から「今後国立戒壇の名称は一切使用しない」旨を公式に言明いたしました。
然るに妙信講は、この公式決定に従わず、更に昭和四十七年四月二十八日付の正本堂に関する「訓諭」に異議を申立て、遂には「流血の惨云云」の言辞をなすに至ったので、このような激越な行動を思い止まらせるために、私は種々努力いたし、時には厳しく誡めもし、或は大きく包容する意味での配慮もいたしました。
しかし妙信講は、その後も今日に至るまで、再三再四にわたる説得や誡告にも従わず、宗務院や同信の徒をかえって非難中傷し、その上遂に宗務院の制止を無視して大衆行動まで起すに至りました。
私としては、今迄の努力が全く報いられなかったことを甚だ残念に思い、かつ非常に悲しいことではありますが、一宗の統率者として宗門の秩序を守り、統制を保っていくためには、万やむを得ないこととして、遂に今回の措置をとらざるを得なくなったのであります。
一部の誤った指導者によって講員全体が誤った方向へむかわされることは、まことに忍びないことであり、この上からも今回の処置はやむを得ないこととして御了承いただきたいと思います。
たとえ如何なる理由があるにせよ、万が一にも無用の騒ぎを起して、宗内を更に乱すようなことがあっては、仏法に違背することとなり、私を益々苦しめる結果となることをよくお考えいただきたいのであります。
どうか元講員の皆様には、この事態を冷静に受けとめられ私の心情を御理解せられ、そして私の指示に従われるよう願います。
皆様は、今日以後、その所属寺院を別記四ケ寺のうち、いづれかに定めて、今日より六十日以内にその寺へ申出られるよう願います。
その寺においては、他の法華講員と何ら変らぬ平等の気持ちをもって遇しますので、その指導教師の指導のもとに、宗門の方針に沿った正しい信心に励んでいただきたいと心から念願いたします。
(別記)
東京都墨田区向島三ノ一二ノ一五 常泉寺
東京都豊島区南池袋二ノ二〇ノ七 常在寺
東京都品川区西品川一ノ六ノ二六 妙光寺
大阪市淀川区塚本六ノニノ二一 蓮華寺
この細井師直筆の手紙(写し)もまた、わが家に送付されて来ました。これまた貴重な資料として、大切に保管しています。
「此法門を日蓮申す故に、忠言耳に逆う道理なるが故に、流罪せられ命にも及びしなり。然どもいまだこりず候」(曾谷殿御返事)
「諌臣国に在れば則ち其の国正しく、争子家に在れば則ち其の家直し」(北条時宗への御状)
御遺命守護の故に、浅井会長と共に解散処分に値い得たこと、大いなる喜びでありました。
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