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日蓮大聖人の御遺命
一、本門戒壇についての日蓮大聖人の御指南
三大秘法抄
「戒壇とは、王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往(むかし)を末法濁悪の未来に移さん時、勅宣(ちょくせん)並びに御教書(みぎょうしょ)を申し下(くだ)して、霊山浄土(りょうぜんじょうど)に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可(べ)き者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是れなり。三国並びに一閻浮提(いちえんぶだい)の人(にん)・懺悔滅罪(ざんげめつざい)の戒法のみならず、大梵天王(だいぼんてんのう)・帝釈(たいしゃく)等も来下(らいげ)して踏み給うべき戒壇なり」
一期弘法付嘱書の助証として同年四月、門下の有力な檀越(だんのつ)・太田金吾に与えられたのが、この三大秘法抄である。本門戒壇建立の御遺命について、もし日興上人以外の誰人も知らなければ、減後においてさまざまな問題が生ずる。よって滅後を慮(おもんぱか)って書き留め給うたのである。ゆえに末文に次の仰せを拝する。
「予年来(としごろ)己心(こしん)に秘すと雖も、此の法門を書き付けて留め置かずんば、門家の遺弟(ゆいてい)等定めて無慈悲の讒言(ざんげん)を加うべし。其の後は何と悔ゆとも叶うまじきと存する間、貴辺に対し書き遺し候。一見の後は秘して他見(たけん)有るべからず、口外も詮なし」と。
「予年来己心に秘す」の仰せのごとく、一代の御書四百余篇の中において本門戒壇について御教示されたのは、御入滅の年に著わされた一期弘法付嘱書とこの三大秘法抄だけである。
それは、本門戒壇の法門が一般門下の理解をはるかに超える甚深(じんじん)の法義であるうえ、国家レベルにおいて一切の邪法を捨てて三大秘法を受持することがいかに大難事であることか。このゆえに深く己心に秘し給い、太田殿に示されたのちもなお「一見の後は秘して他見あるべからず、口外も詮なし」と厳しくいさめ給うのである。
まさしく本抄こそ、広布の前夜、本門戒壇について異議を生じた時のために、留め置き給うたものと深く拝すべきである。
( 日蓮大聖人の仏法、冨士大石寺顕正会発行、浅井昭衞著、第九章より
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