|
日蓮大聖人の御遺命
四、御遺命破壊の大悪起こる
「国立戒壇」放棄の動機
池田大作は学会員を選挙に駆り立てる口実に、前々からしきりと「国立戒壇」を利用していた。「大聖人様の至上命令である国立戒壇建立のためには、関所ともいうべき、どうしても通らなければならないのが、創価学会の選挙なのでございます」(大白蓮華、昭和三十四年六月号)
この言葉を信じて、学会員は寝食を忘れて選挙に戦った。そして昭和三十九年、池田は公明党を結成し、衆院進出を宣言する。いよいよ政権獲得に乗り出したのである。
これを見て、学会の大敵ともいうべき共産党をはじめ、マスコミ・評論家は一斉に、池田がそれまで政界進出の口実にしていた「国立戒壇」を取りあげ、批判を始めた。その内容は主として「国立戒壇は政教分離を定めた憲法に違反する」というものであった。
池田はこの批判を強く恐れた。
しかしこの批判は当らない。なぜなら国立戒壇の建立は広宣流布の暁に実現されるものだからだ。
その時には当然国民の総意により、仏法に基づく憲法改正も行われる。したがって「憲法違反」などの非難は不当で、恐れるには当らない。
また国立戒壇建立は御本仏の一期の大願であれば、三類の怨敵が競い起こるのは当然、もし仏弟子ならばむしろ大難を喜ぶべきなのである。
にもかかわらず池田はこれを恐れた。-- ということは、彼が叫んでいた「国立戒壇」は学会員を選挙に駆り立てるための口実、また人の口真似に過ぎなかったのだ。彼には、国立戒壇が仏国実現の唯一の秘術であることも、「事の戒法」といわれるゆえんも、したがって御本仏の御遺命の重さも、全くわかっていなかったのである。
だから国立戒壇が批判を受けて選挙に不利をもたらすと見るや、この御遺命が邪魔になった。ここに恐るべき思いが彼の胸中に湧いた
--- 国立戒壇の放棄・否定である。
しかし口でいうだけでは世間は信じてくれない。否定するからには、何としても国立戒壇に替わる贋の戒壇を建てなければならない。そこに「正本堂」の誑惑(たばかり)を思いついたのだ。
すなわち大石寺の境内に巨大な「正本堂」なる建造物を建て、これを「日蓮大聖人の御遺命の戒壇」と偽れば、国立戒壇は完全に否定されるのである。
( 日蓮大聖人の仏法、冨士大石寺顕正会発行、浅井昭衞著、第九章より
)
戻る 次
|
|