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日蓮大聖人の御遺命
四、御遺命破壊の大悪起こる
誑惑の大合唱
たばかりが成功すると見た池田の言動は、時間とともに露骨さを増す。昭和四十一年の「立正安国論講義」では、「本門戒壇を建立せよとの御遺命も、目前にひかえた正本堂の建立によって事実上達成される段階となった。七百年来の宿願であり、久遠元初以来の壮挙であることを確信してやまない」(立正安国論講義)
四十二年の学会本部総会では「三大秘法抄にいわく『三国並に一閻浮提の人・懺悔滅罪の戒法のみならず、大梵天王・帝釈等も来下して踏み給うべき戒壇なり』と。・・・・・この戒壇建立を日蓮大聖人は『時を待つ可きのみ』とおおせられて滅後に託されたのであります。以来、七百年、この時機到来のきざしはなく、日蓮大聖人のご遺命はいたずらに虚妄となるところでありました。だが『仏語は虚しからず』のご予言どおり、・・・・・七百年来の宿願である正本堂建立のはこびとなったのであります。・・・・・世界平和の新しい根本道場である正本堂は、時とともに輝きを増し、末法万年尽未来際まで、不滅の大殿堂となることは、絶対に間違いない。・・・・・なお、正本堂完成により、三大秘法が、ここにいちおう成就したといえるのであり、『立正安国』の『立正』の二字が完ぺきとなったのであります」(大日蓮四十二年六月号)
さらに同年十月に行われた正本堂発願式では、誇らしげにいう。「夫れ正本堂は末法事の戒壇にして、宗門究極の誓願之に過ぐるはなく、将又(はたまた)仏教三千余年、史上空前の偉業なり」(発誓願文)と。
すでに魔の入った池田は、御本仏の御眼を恐れることもなく、この大欺瞞をかえって「仏教三千余年、史上空前の偉業」と讃え、これを成し遂げた自身の功績を誇ったのである。
これを承けて学会の主要書籍にも誑惑の文字が躍る。「戒壇とは、広宣流布の暁に本門戒壇の大御本尊を正式に御安置申し上げる本門の戒壇、これを事の戒壇という。それまでは大御本尊の住するところが義の戒壇である。・・・・・昭和四十七年には、本門戒壇たる正本堂が建立される」(折伏教典)
さらに「日蓮大聖人は本門の題目流布と、本門の本尊を建立され、本門事の戒壇の建立は日興上人をはじめ後世の弟子檀那にたくされた。…時来って日蓮大聖人大御本尊建立以来六百九十三年目にして、宗門においては第六十六世日達上人、創価学会においては第三代池田大作会長の時代に、本門の戒壇建立が実現せんとしている」(仏教哲学大辞典)
「正本堂の建立により、日蓮大聖人が三大秘法抄に予言されたとおりの相貌を具えた戒壇が建てられる。これこそ化儀の広宣流布実現であり、世界にいまだ曽てない大殿堂である」(同前)
( 日蓮大聖人の仏法、冨士大石寺顕正会発行、浅井昭衞著、第九章より
)
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