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     御遺命守護の戦い

  昭和四十五年 ---。正本堂の工事はすでに始まり、その完成が二年後に迫っていた。

 池田大作はこの落成式において、細井管長に「
広宣流布は達成」「御遺命の戒壇ここに成就」と宣言させることにしていた。
 もし時の「法主」が公式にこれを内外に宣言すれば、このとき、御本仏の御遺命は完全に破壊される。国立戒壇の建立は大聖人の
究極の大願であられれば、この御遺命の破壊は、あの流罪・死罪を忍び給うた大聖人の一代三十年の御化導を、水泡に帰せしめるものである。

 宗門・学会はこれをいま、恐れげもなく押し進めている。この無道心をご覧あそばせば、大聖人はいかに御憤り、御悲しみあそばすであろうか ---。

 このとき、大聖人の厳たる御命令が私の耳朶を打った。「
法を壊(やぶ)る者を見て責めざる者は、仏法の中の怨(あだ)なり」(滝泉寺申状)、「もし正法尽きんと欲すること有らん時、まさに是くの如く受持し擁護(おうご)すべし」(立正安国論)、「むしろ身命を喪(うしな)うとも、教を匿(かく)さざれ」(撰時抄)、「師子王の如くなる心をもてる者、必ず仏になるべし」(佐渡御書)

 また日興上人は「
時の貫主たりと雖も仏法に相違して己義を構えば、之を用うべからざる事」と。         

 もし「法主」の権威を憚り、学会の強大を恐れてこの大悪を黙過したならば、これこそ大聖人に対し奉る最大の不忠となる。
 黙っていたら大聖人様に申しわけない --- ただこの一念で、私は
御遺命守護の御奉公に立ち上がった。

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以来、必死の諌暁は二十八年に及んだ。これを貫く原動力は、ただ大聖人への忠誠心であった。そして誰もが予想し得ぬことが起きた。平成十年四月五日、戒壇の大御本尊は誑惑不浄の正本堂より元の奉安殿に還御あそばしたのである。
 すべては大聖人の御仏意、厳たる御威徳による。ここに“
不思議の還御”にいたる二十八年間の始終を括(くく)り、“御本仏の御遺命は誰人も犯し得ず”の事実を、以下に記し留める ---。


         (  日蓮大聖人の仏法、冨士大石寺顕正会発行、浅井昭衞著、第十章より  )


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