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細井管長と対面
やがて対面所に出座された細井管長は、右手に「正本堂に就き宗務御当局に糺し訴う」をかざしつつ、照れくさそうな笑みを浮べ、開口一番
「よく書けてますね。私にもこうは書けませんよ。この本は宗開両祖の仰せのまま、宗門七百年の伝統のままです。一分の誤りもありません」
思いもかけぬ言葉を下されたのである。しかし、次いで「この中に引用の先師の『御宝蔵説法』とは、日応上人のものですね。あれには省略されている部分があるのです。これがその原本です。大事なものだから人には見せられないが、この中に『戒壇の大御本尊まします所は事の戒壇』とあるのです。だから、正本堂は事の戒壇といえるのです」と。
非礼借越とは思ったが、ことは御遺命にかかわる重大事である。私は敢えて「お見せ頂けますか」と願い出た。
「大事なものだから全部は見せられないが ・・・・・」と云いつつ、細井管長は両手で前後の行文を隠し、その部分だけを見せて読み上げられた。 「『大御本尊いま眼前に当山に在す事なれば、此の処即ち是れ本門事の戒壇、真の霊山・事の寂光土』とあるでしょう。だから戒壇の大御本尊まします所は、御宝蔵であれ、奉安殿であれ、また正本堂であれ、事の戒壇といっていいのですよ」
いかにも訝(いぶか)しい。私はお伺いした。「本宗では従来、広布の暁に事相に建てられる御遺命の戒壇を『事の戒壇』といい、それまで大御本尊のまします御宝蔵あるいは奉安殿を『義の戒壇』と言ってきたのではないでしょうか」
細井管長の面にみるみる怒気がみなぎつた。「あんた、二座の観念文には何とある。『事の一念三千』とあるでしょう、戒壇の御本尊は事の御本尊です。だから、その御本尊まします所は事の戒壇なのです」
「お言葉ですが、『事の一念三千』の『事』とは、文上脱益・理の一念三千に望んで文底下種の一念三千を『事』とされたのであって、これは法体の上の立て分けかと思われます。いま戒壇における『事』と『義』とは、次元が異なるように思われますが ・・・・・」
「いや、ここに書かれているように、大御本尊まします所は、いつでも、どこでも事の戒壇です」 怒気を含む強い調子で、これだけは譲れないというように、同じ言葉を何度も繰り返された。
しかし、従来の定義を変えて“正本堂を事の戒壇”としたならば、御遺命の戒壇がわからなくなってしまう。核心部分はここにある。
そこで私は詰(つ)めてお伺いした。「では、正本堂は三大秘法抄・一期弘法抄に御遺命の戒壇なのでしょうか」
細井管長はあきらかに困惑の色を表わし、しばし沈黙された。やがて意を決したように「広宣流布の時の事の戒壇は、国立ですよ」
重ねて念を押させて頂いた。「では、正本堂は御遺命の戒壇ではないのですね」
「正本堂は最終の戒壇ではありません。広布の時は国立戒壇で、天母山に建てられるのです」
ついに、細井管長は本心を吐露された ---。しかしこの本心を宗門で知り得る者はない。全信徒は正本堂を御遺命の戒壇と思いこんでいる。そこで言上した。「猊下の御本意を伺い、こんなに有難いことはございません。しかし学会員も法華講員も、まだ正本堂を御遺命の戒壇と思いこんでおります。これはいかがしたら
・・・・・」
猊下は言われた。「いや、私から、間違わぬよう、よく伝えておきます」
思いもかけぬ明言であった。そして最後には「諌めてくれたのは妙信講だけです。浅井さんの信心に私は負けました」とまで、率直な言葉を吐かれた。
--- 細井管長のこの日の対面目的は、まさに懐柔と、己義の「事の戒壇」を承伏させることにあったごとくである。しかし説得のつもりが、正しい道理の前にかえつて本心を吐露せざるを得なくなったものと思われる。
( 日蓮大聖人の仏法、冨士大石寺顕正会発行、浅井昭衞著、第十章より
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