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「国立戒壇を永久に放棄せよ」
昭和四十五年四月十四日、池田は宗務院の早瀬日慈総監と阿部信雄教学部長(現・日顕管長)を学会本部に呼びつけた。
このときの会談内容が、阿部教学部長によって克明に速記されている。この記録は、池田が宗門に国立戒壇を捨てさせたことを立証する上で、きわめて重大である。
平成五年に顕正会が入手したその記録(以下、阿部メモ)によれば、その主旨は二つ。
1) 宗門が公式に国立戒壇の永久放棄宣言をすること
2) 宗内でひとり国立戒壇を主張する浅井を抑えこむこと
この二つを「法主」に要請している。---
その一部を紹介してみよう。
池田:「国立と云うと追いつめられる恐れがある。先手をとりたい。日淳上人にも現猊下にも国立の言あり。共産党はこれらをつみ重ねて(証拠蒐集の意)きている。これは違憲になる。・・・・・・ この際はっきりしておいた方がよいと思うがどうか。・・・・・
もし之をお認め頂けるならば、猊下より宗門の定義として大日蓮に発表して頂きたい。そうでないと私の独創になってしまう」
早瀬総監:「非常に重大な事である。充分猊下にお伝えし、申上げる。その上で御返事をする」
池田:「非常にいそぐので早く願いたい。・・・・・ また何等かの方法で、この件につき宗門内の統一を願いたい。今迄、猊下は、我々の言ったことを擁護して下さった。それが今度は、もう一歩脱皮せねばならぬ時になった。猊下も『時によるべし』とおっしやっている。今ここで、永久に国立という内容にするか、しないかが、急所である。永久にしないという決定をいえば収まる。・・・・・ 猊下よりそう云うお説法があったとして、大日蓮に発表して頂きたい」
--- 歴代先師上人が七百年来叫び続けてこられた「国立戒壇」を、永久に放棄せよと「法主」に迫っているのが生々しい。
ついで池田の発言は妙信講間親に移る。阿部メモには
「次、浅井問題の検討となる。・・・・・ 浅井問題の解決が焦眉の急という会長の発言あり」と記されている。
池田はいう:「浅井によく云って下さい ・・・・・ 私と一緒に共産党と戦ってもらいたい。もしそうしてくれるのなら、私と逢ってもよい。一ペん逢はうか。如何?」
早瀬総監:「結構だと思う」
池田:「それで、もしも(仲々難物なときは)谷口質問を見せて、宗門が解散になつてもよいのかと云うことを、よく猊下より話して戴くことがよい。なお猊下が浅井にお逢いになるときは、早瀬総監、阿部教学部長も御陪席(ばいせき)申上げてもらいたい」
池田は続ける:「本山も危いのだということを、よく云って下さい。その時もしよければ、会長を呼んでもよいと云って下さい。至急やってもらいたい。明日か、明後日−16日一杯にやって頂きたい。猊下より浅井に『国立をとれよ(除け)』と一言云って頂けばよいと思う」
ついで小平芳平(公明党参議院議員)が、池田発言を補足する。「国立を主張して憲法違反と云うことになると、宗教法人法第二条違反となり、これは、法人法第○条により、解散させられます」
続けて池田が云う:「だから浅井に、憲法違反で潰されてよいかということを云って下さい。猊下より、民衆立は自分が(始めに)云ったんだと、むしろ云って頂きたい」
会談の最後に池田は重ねて念を押す。「浅井の件、どうか、しっかりたのみます」
--- “国立戒壇をいえば憲法違反あるいは宗教法人法違反で宗門が潰される”などと素人だましの法律論で脅し、宗門に「国立戒壇の永久放棄」を強要したのである。
しかしこの池田の指示どおり、細井管長はこれより動く
---。
( 日蓮大聖人の仏法、冨士大石寺顕正会発行、浅井昭衞著、第十章より
)
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