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「四箇条に従え」
ところがである。
翌朝、細井管長から直接私に電話があった。「昨日、云い残したことがあるので、念のためはつきりと云っておきます。筆記して下さい。
一、日蓮正宗を国教にすることはしない。
二、国立戒壇とはいわない、民衆立である。
三、正本堂を以て最終の事の戒壇とする。
四、今日はすでに広宣流布である。だから事の戒壇も立つのである。
以上、これは宗門の管長として私がはっきりいうのです。こうしなければ、現在の宗門はもう統率できないのですから、管長のいうことに従って下さい。
そしてこの四つのことは、五月三日(学会本部総会)に私から発表しますから、それを見てて下さい」
昨日の約束は、いったい何だつたのか。池田に巻き返されたことは目に見えている。私は即座に「この四ヶ条、断じて承伏いたしません。このようなことをもし仰せになれば、将来、猊下のお徳が必ず傷つきます」と、強くお諌めした。
しかし猊下は「とにかく、五月三日の私の話を開いてからにして下さい」とくり返されるだけであった。その声はかすれ、もつれ、そして震えていた。
大事の御遺命に背く恐ろしさを、全身で感じておられたに違いない。
( 日蓮大聖人の仏法、冨士大石寺顕正会発行、浅井昭衞著、第十章より
)
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