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「臨時時局懇談会」
そして五日後の四月二十二日、総本山大客殿において宗門の全住職約一千名と、学会・法華講・妙信講の代表が召集され、「臨時時局懇談会」なるものが開催された。池田の「この件につき宗門内の統一を願いたい」(阿部メモ)に基づくものだった。
つまり宗門代表を集めた席で「法主」に国立戒壇否定の説法をさせ、それに異議がなければ「宗門内の統一」は成ったというわけである。
開会に先立ち、宗務役僧が「本日は御法主上人より御説法を賜わるが、特別に質問が許されている」と述べた。
まず全員に共産党の「質問主意書」のコピーが配られた。初めに学会を代表して辻武寿総務室長が立ち「共産党の攻撃により、いま宗門は危急存亡の時を迎えている。国立戒壇をいえば宗門はつぶされる。学会は共産党と争うつもりはない」旨を、くどくどと述べた。
質問が許されたので、私は立った。「どうして日蓮正宗が危急存亡なのか。御書には『外道悪人は如来の正法を破りがたし、仏弟子等必ず仏法を破るべし、師子身中の虫の師子を食む』とあるが、共産党ごときに仏法が破られることは有り得ない。仏法は中から破られるのである。もし学会が仏弟子ならば、どうして共産党をそれほど恐れるのか。
いま開けば、学会は共産党と争うつもりはないとのことであるが、その共産党は 『赤旗』紙上において、恐れ多くも戒壇の大御本尊の写真を掲げ、連々と誹誘中傷をしている。学会はなぜ護法のために戦わないのか。妙信講は共産党にこのことで対決を申し入れたが、先方が逃げた。学会はなぜこの謗法を責めないのか」
辻は「あなた方の勇気には敬服します。ただ私達は、あとでまとめてやろうと思っております」と云いわけをした。さらに質問しようとすると森田一哉副会長(現・理事長)が立ち「もう時間です。猊下が待っておられますから」と遮った。
だが、私は敢えて質(ただ)した。「先ほど、国立戒壇をいえば宗門はつぶされると云っていたが、なぜ潰されるのか、その法的根拠を示してほしい」
森田と早瀬総監が同時に立ち上がった。そして「猊下がお待ちになっておられるので ・・・・・」と辻を降壇させてしまった。
ついで猊下が説法された。
大旨は、まず広宣流布について「今日は因の姿においてすでに広宣流布である」とし、次に戒壇については、日寛上人の依義判文抄を引いて「御本尊即戒壇とあるから、戒壇の大御本尊まします所は事の戒壇である」といい、さらに「国教でないものに国立はあり得ない、民衆立の正本堂を事の戒壇として、今日において少しも恥ずることはないと信ずる」と結んだ。
--- 要するに先日の電話での四ケ条の説明であった。
説法が終わると、早瀬総監から「本日は特別に“お伺い”が許されている」との言葉があったので、私はお伺い申し上げた。
「ただいま猊下は、正本堂を事の戒壇と仰せられましたが、それでは三大秘法抄に御遺命された戒壇は、将来建てられないのでしょうか
・・・・・」
猊下はしばし沈黙ののち「私には、将来のことはわかりません」と答えられた。 「建てる」といえば学会を裏切ることになる。「建てない」といえば御遺命に背くことになる。よって「わかりません」ということになったのであろう。
私はさらに、細井管長が依義判文抄を引いて説明した部分について質問した。引用された日寛上人の御文は次の一節であった。
「応に知るべし、『日蓮一期の弘法』とは、即ち是れ本門の本尊なり。『本門弘通』等とは、所弘即ち是れ本門の題目なり。戒壇は文の如し。全く神力品結要付嘱の文に同じ云云。秘すべし、秘すべし」
これを細井管長は次のように会通した。「ここが大事なところでございます。結要付嘱とはすなわち本門の大御本尊であります。『(戒壇は)それと同じだ』と、はっきりここで日寛上人がことわっている。だから結局は、事の戒壇といっても、義も含んだところの事の戒壇、大聖人様の戒壇の大御本尊まします所が、すなわちこれ事の戒壇であるはずでございます」と。
これは全くの曲会である。私はお伺いした。
「猊下はいま『戒壇は文の如し。全く神力品結要付嘱の文に同じ』との寛尊の御文を引き、“御本尊と戒壇とは同じだから、戒壇の大御本尊まします所は事の戒壇である”と仰せられましたが、この御文の意は、神力結要付嘱の文も一期弘法付嘱書も、共に三大秘法を説き、そのうえ、本尊・題目・戒壇と説き示す順序も全く同じであるとの深妙を『秘すべし、秘すべし』と仰せられたのではないでしょうか。
すなわち神力品においては『以要言之』以下に本門の本尊を説き、『是故汝等』以下に本門の題目を説き、『所在国土』以下に本門の戒壇が説かれております。また一期弘法付嘱書では『日蓮一期の弘法』は本門の本尊、『本門弘通』等とは所弘すなわち本門の題目、戒壇は『国主此の法を立てらるれば云々』との文のままであるから、寛尊は『文の如し』と仰せられたのであり、まさに釈尊から上行菩薩への神力結要付嘱も三大秘法、また大聖人から日興上人への御付嘱も三大秘法、そのうえ本尊・題目・戒壇と示す三大秘法の説順も全く同じである。
この深秘・深妙を『全く同じ、秘すべし』と嘆ぜられたのであって、本尊と戒壇が『全く同じ』という意味ではないと存じますが、いかがでしょうか」
細井管長は全く口を閉じられた。私はさらにお尋ねした。「日寛上人は今の御文の前に、『経巻所住の処』を本尊所住の処すなわち義の戒壇とし、『皆応に塔を起つべし』を事の戒壇の勧奨として、三大秘法抄・一期弘法抄を引いて説明しておられますが、『本尊所住の処』に当る正本堂が、どうして事の戒壇になるのでしょうか
・・・・・」
長く、重苦しい沈黙が、大客殿を覆った。しばらくして、森田が引きつったような顔で立ち上がり「ここにいるすべての人には、猊下の御説法はよくわかります。ですから、浅井さんには別に席が設けてありますから、あとでゆっくり猊下とお話になって下さい」といって臨時時局懇談会を打ち切ってしまった。
しかし別席でも「後日また」ということで、結局流会になってしまった。
( 日蓮大聖人の仏法、冨士大石寺顕正会発行、浅井昭衞著、第十章より
)
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