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「正本堂に就き池田会長に糺し訴う」
この違約を見たとき、悲しみとともに深い憤りがこみ上げてきた。
この上は池田会長を直接糺問する以外にない --- 私は直ちに筆を執った。それが第二の諌暁書「正本堂に就き池田会長に糺し訴う」であった。時は正本堂落成のほぼ一年前の昭和四十六年十一月十五日。
この書の内容は、まず「確認書」に至るまでの経過を述べて池田会長の違約を強く詰(なじ)り、ついで正本堂の誑惑を重ねて克明に挙げた上で「ここに断言して憚(はばか)らない。かかる正本堂こそ、上は日蓮大聖人の御遣命に背き奉り、下は八百万信徒の純信を欺き、外には一国を誑(たぶら)かすものにほかならぬ。その上、静かに休み給う歴代上人の御墓所まで発(あば)き奉る。もし深く懺悔訂正せずんば、宗門も、国家も取り返しの付かぬ事になるは必定(ひつじょう)である」と云い切った。
そして結びとして、次の二箇条を直ちに実行せよと迫った。
「一、全宗門信徒に対し、正本堂が御遺命の戒壇ではないことを公表すること。
二、政府に対し、偽りの回答を撤回し、国立戒壇の正義を示すこと」
先の確認書は非公開であったが、今度は広く誑惑訂正を公表せよと求めたのである。
ちなみに、このとき言い切った「もし深く懺悔訂正せずんば、宗門も、国家も取り返しの付かぬ事になる」は、いま事実になりつつある。
見よ、宗門にあらわれた相承授受をめぐる未曽有の異常事態、さらに宗門・学会の泥沼の大抗争、そして日本はいま亡国の渕に立っているではないか。
まさに「仏法は体、世間は影」の仰せのままである。
( 日蓮大聖人の仏法、冨士大石寺顕正会発行、浅井昭衞著、第十章より
)
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