| 
      
         
       | 
        
      
        
            
                 「宗門声明を ・・・・・ 」 
             
             さて、この諌暁書を一読した池田大作は狼狽(ろうばい)し、自ら早瀬総監を法道院にたずね、善後策を協議している。 
             
             昭和四十七年二月十三日、早瀬総監は法道院に私を招いた。総監が云った。「浅井さんが憤る気持はよくわかるが、何とかならないものかと思って、宗務院が乗り出した」 
             私はいった。「解決しようという意志がおありならば、宗務院が院達をもって、正本堂の誑惑訂正と国立戒壇の正義を、全宗門に布告されたらどうか」 
             
             このとき同席していた阿部教学部長が口を挟(はさ)んだ。「これは仮定の話だが、もし院達を出せば、それですべて収まるのか」 
             「それは院達の内容による」と私は答えた。 
             
             翌日、再び早瀬総監から「会いたい」といってきた。「宗務院の考えとして、宗門声明を出そうと思っている。時期は正本堂落慶式の半年前、内容は『正本堂は現時における事の戒壇である』のただ一ケ条。ただしこの『事の戒壇』とは、御遺命の戒壇を意味しない。猊下の仰せられる“大御本尊ましますゆえに事の戒壇”ということである。御遺命の事の戒壇は将来に属するから、今は一切ふれない」 
             
             私は云った。「今さらそんな曖昧なことでは誑惑の訂正にならない。もし御当局に訂正のご意志があるならば、宗門声明は次のごとき内容であるべきである。 
             
             一、正本堂は三大秘法抄・一期弘法抄に御遺命の事の戒壇ではない。 
             二、正本堂は奉安殿の延長として、国立戒壇建立の日まで、本門戒壇の大御本尊を厳護し奉る殿堂である。 
             三、正しく御遺命の事の戒壇とは、一国広布の暁、富士山天生ヶ原に建立される国立の戒壇である。 
             
             以上を宗門声明として出して頂きたい」 
             
             二人は長考ののち「あまりにことは重大で、四月六日の御虫弘法要が済まなければ決められない」といった。
  
             
            
                     (  日蓮大聖人の仏法、冨士大石寺顕正会発行、浅井昭衞著、第十章より
             )
             
            
             
            
             
            
                    戻る   次   
             | 
           
       
     |