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悪書「国立戒壇論の誤りについて」
「訓諭」発布の二ヶ月後、池田大作は宗務院の阿部信雄数学部長に「国立戒壇論の誤りについて」を執筆させた。
池田はすでに細井管長に「国立戒壇水久放棄」を宣言させ、さらに正本堂を御遺命の戒壇に当る建物と意義づける「訓諭」も出させた。しかしなお、妙信講の正論によって誑惑が崩れる不安があったと思われる。
池田が阿部教学部長の白を黒といいくるめる詭弁の特才に目をつけていたことは前に述べた。阿部数学部長もまた、池田の寵愛(ちょうあい)を得て宗門の最上位に登ることを夢みていたのである。
かくて中国・天台僧の一行(いちぎょう)が、インド真言宗の高僧・善無畏(ぜんむい)に使唆(しそう)されて「やすう候」と法華経を謗(そし)る大日経の疏(じょ)を造ったごとく、阿部教学部長も池田の指示のままに、唯唯諾諾(いいだくだく)と御遺命に背く大悪書を造ったのであった。
この書の所詮は --- 日本国憲法のもとでは「国立戒壇」は成立し得ないから、国家と無関係に建てられた正本堂こそ、時代に即した御遺命の戒壇に当る --- というにある。
すなわち本書の根底には、憲法を主、仏法を従とする顛倒(てんどう)が横たわっている。憲法違反の批判を恐れたからである。
ゆえに本文中に「今日、憲法第二十条に定められた政教分離の原則によって、国会も閣議も『戒壇建立』などという宗教的事項を決議する権限を全く有していない。仮に決議したとしても、憲法違反で無効であり、無効な決議は存在しないことと同じである。やれないことや無いことを必要条件に定めることは、結果的には、自ら不可能と決めて目的を放棄することになる」などという。
だが、広布以前に制定された憲法の枠内で国立戒壇が実現し得ないのは、当然のことではないか。ゆえに「時を待つべきのみ」の仰せがあるのだ。
広宣流布が達成されれば、仏法に準じて憲法も改正される。これが「王法仏法に冥ずる」の一事相でもある。そして“かかる時が到来するまでは戒壇を建てるべからず”というのが、御本仏の御制誠なのである。
しかるに阿部教学部長は、現憲法に合わせて仏法をねじ曲げた。この愚かしさ、まさに靴に合わせて足の指を切るに等しい。
憲法に合わせて三大秘法抄の金文をねじ曲げればどのような解釈となるか。阿部教学部長のたばかりを見てみよう。彼は聖文を切り刻んで次のように曲会する。
「王法」=「政治をふくむあらゆる社会生活の原理」
「王臣一同」=「民衆一同」
「有徳王」=「法華講総講頭・池田大作先生」
「勅宣並びに御教書」=「すでに現憲法の信教の自由の保証によって実現されている」
「霊山浄土に似たらん最勝の地」=「大石寺こそ本門戒壇建立の地」
「時を待つべきのみ」=「現在も王仏冥合の時と云える。 ・・・ 現在戒壇建立の意義をもつ建物を建てるべき時である」
まことに三大秘法抄の心を死(ころ)すこと、この曲会に過ぎたるはない。しかもこのたばかりを正当化するのに「法主」の権威を悪用する。
ゆえに曲会の後に、彼は必ず次のような文を続ける。「最も大切なことは、遣使還告(けんしげんごう)の血脈の次第から、現御法主上人を大聖人と仰ぐべきであり、現在においては御法主・日達上人の御意向を仰ぐのが正しい」
なんと「法主を大聖人と仰げ」といって悪義を押しつけている。あるいは云く「唯授一人の血脈を紹継(しょうけい)され、時に当っての仏法上の決裁を示し給う現法主日達上人の御指南を基本とすべきである」 「現在は仏法上いかなる時であるかを決し、宗門緇素にこれを指南し給う方は、現法主上人にあらせられる」
あるいは云く「宗門未曾有の流行の相顕著なる現在も、王仏冥合の時と云える。此の時に感じて、法華講総講頭池田大作先生が大願主となつて正本堂を寄進され、日達上人猊下は今般これを未来における本門寺の戒壇たるべき大殿堂と、お示しになったのである。もしいまだ建物建立の時も至らずと考え、三大秘法抄の前提条件も整わないとして、前もって戒壇を建てるのは『時を待つ可きのみ』の御制誠に背くという意見があるとすれば、それは不毛の論に過ぎない。・・・・・ そして三大秘法抄の戒壇の文全体に対し、今迄述べ来たった拝し方において当然いえることは、現在戒壇建立の意義を持つ建物を建てるべき時であるという事である。・・・・・ これに反対し誹謗する者は、猊下に反し、また三大秘法抄の文意に背くものとなる」
このように、「法主」の権威をふりかざして三大秘法抄の御聖意を完全に破壊した上で、妙信議を指して「猊下に反し、三大秘法抄の文意に背くもの」と悪言を吐く。
大聖人滅後七百年、宗内外を問わず、ここまで三大秘法抄をねじ曲げた悪比丘は、未だ曽て見ない。
佐渡御書には「外道悪人は如来の正法を破りがたし、仏弟子等必ず仏法を破るべし、師子身中の虫の師子を食む」と。
正系門家における「師子身中の虫」とは、まさしく教学部長・阿部信雄その人であった。池田はこの“謗法の書”を、学会組織内に広く配布した。
( 日蓮大聖人の仏法、冨士大石寺顕正会発行、浅井昭衞著、第十章より
)
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