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     阿部教学部長辞表を提出

 池田大作の公場対決逃避を見て、私はこの上は全学会員に正本堂の誑惑を知らせるほかはないと、妙信講の組織を挙げての文書配布を決意した。昭和四十七年五月のことであった。

 六月十三日、宗務院から通告が来た。「
妙信講は猊下の訓諭に敵対し、池田会長への公開法論申し入れを撤画しないのみならず、さらに文書配布に及んでいる。このことは解散処分に該当するゆえ、宗規の定めるところにより一週間以内に弁疏(べんそ)を提出せよ」と。
 「弁疏」とは“云いわけ”である。御遺命を守り奉る者が、これを破壊せんとする者に、どうして“云いわけ”をする必要があろう。

 私は「弁疏」のかわりに
強烈な諌状を認(したた)めた。その中で、確認書に立ち合いながら再び学会の走狗となつた宗務役僧の無節操、ことに悪書を著わした阿部教学部長の破廉恥を真っ向から責めた上で、文末に次のごとく記した。

 「
御当局、もし一分の道念だにあるならば、今からでも違法を訂正すべきである。訂正の意志は全くなきか。あくまで正本堂を御遺命の戒壇と云い切る所存なりや。速かにその意志を示し給え。もし敢えて違法を強行するとならば、すでに止むなし。これ大聖人の御命令なりとして、妙信講は非常手段を以てしても断じて御遺命を守り奉る。立正安国論に云く『若し正法尽きんと欲すること有らん時、当に是くの如く受持し擁護すべし』と。ただただ在家の本分に殉ずるのみである。・・・・・ 宗務御当局、此処に至ってよくよく思案をなし、その道を誤らざるよう、ここに妙信講として最後の忠告を申し上げるものである」と。

 これで
解散処分は必至と思われた ---

 ところが、思いもかけぬことが起きた。阿部教学部長はこの諌状を一読するや、直ちに早瀬総監と共に細井管長に辞表を提出し、いずくともなく行方をくらませてしまったのである。
 後日判ったことだが、兵庫の有馬温泉に長く身を潜めていたとのことである。
大聖人への叛逆を強く責められ、身も心もすくんでしまったものと思われる。


         (  日蓮大聖人の仏法、冨士大石寺顕正会発行、浅井昭衞著、第十章より  )


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