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     「訓諭を訂正する」

 これまでの経緯は細井管長こそよく知っている。

 学会の圧力から猊座を守るべく、妙信講が学会代表に署名させた「
確認書」も細井管長の手もとに収められている。この妙信講の護法の赤誠を裏切った後ろめたさがあったのであろう、この日の細井管長はたいへん緊張しておられた。
 そしていきなり「
きょう、私は死ぬ気で来ている」と切り出し、興奮の面持ちで「このような決意で来ているのだから何とかわかってほしい ・・・・・」と、繰り返し事態の収拾を要請された。

 私は黙ってジーっとお聞きしていた。そして話の途切れたところで、静かに申し上げた。
 「
私どもは愚かな在家、むずかしい御書・経文のことは全く存じません。ただし、堅く約束された確認書が弊履(へいり)のごとくふみにじられた事は、道理とも思えません。そのうえ約束を破った学会・宗務当局はかえつて『訓諭』を障壁(しょうへき)として、妙信講に射し『猊下に背く者』と悪罵(あくば)し、解散処分を以て威(おど)しております。このようなことは断じて許しがたき所行と存じます

 細井管長はいわれた。「
宗務院の早瀬と阿部はすでに辞表を出し、いま私が預っている。また確認書はたしかに私の手許にある。この事実を否定する者は宗門にはいない。今回、確認書の約束が破られたような形になったことは、まことに遺憾(いかん)に思っている

 そこで私は「
訓諭」が御遺命に背いていることを、静かにゆっくりと、しかし言葉を強めて一々指摘申し上げた。

 詰められた細井管長は「
実はあの訓諭についてはまずい所がある。後半の『即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり』という部分はまずかった。あれでは、最終の戒壇を前以て建てたことになつてしまう。前半の『・・・・・ 現時における事の戒壇なり』で止めておけばよかったが、宗務院に付け加えられてしまった」と、暗に阿部教学部長が学会の意を受けて付け加えたことを示唆された。

 私は単刀直入に申し上げた。「
では、ぜひ訓諭をご訂正下さい

 さぞやお憤りと思ったところ、少考ののち、細井管長は意を決したように「
わかりました。訂正しましょう。しかしまさか訓諭を訂止するとはいえないから、訓諭の新しい解釈として、内容を打ち消す解釈文を『大日蓮』に載せましょう。その原稿は必ず前以て浅井さんに見せますから」と約束された。

 私はさらに申し上げた。「
あの訓諭をもとに、阿部教学部長は『国立戒壇論の誤りについて』を書き、いま聖教新聞に連載されておりますが、すぐにこれを中止させて頂きたい
 細井管長の決断は早かった。傍(かたわ)らに侍(はべ)る藤本庶務部長に「
今すぐ学会本部に電話しなさい」と命じられた。連載は翌日から止まった。

 話が一段落した時、細井管長は松本妙縁寺住職に命じて筆紙を取り寄せ、御自身の決意を二枚の「
辞世の句」に表わし、一枚を立会いの松本住職に、同じく一枚を私に下さった。

 七月十九日、細井管長は約束どおり訓諭の訂正文の原稿を、総本山で見せて下さった。その内容は学会への配慮から、曖昧な表現ではあったが、重要な部分は確かに訂正されていた。
 すなわち“
大御本尊まします所はいずれも事の戒壇”との己義には依然として固執しているものの、正本堂を御宝蔵・奉安殿と同列に扱い、肝心の御遺命の戒壇については「一期弘法抄、三大秘法抄の事の戒壇は甚深微妙(じんじんみみょう)の事の戒壇で、凡眼(ぼんげん)の覚知(かくち)の外にあるのであろう」として、曖昧ではあるが、それが正本堂ではないことを述べている。

 私はこの文意を幾たびも確認申し上げると、細井管長は口頭では明確に「
正本堂は、三大秘法抄・一期弘法妙に御遺命の戒壇とは、全く違います」と、くり返し云われた。
 そこで私は、文意を明確にするために二・三の文言の修正を願い出た。細井管長はかたわらの藤本庶務部長を顧みつつ了承して下さった。
 そして「
この『解釈文』を宗門機関誌『大日蓮』八月号に掲載する」と、改めて約束された。

 だが、またしても
学会の圧力に細井管長は屈した。山崎とともにこの会談の一部始終を盗聴していた北条浩副会長が総本山へ登り、「解釈文を出されるのは結構だが、その内容によっては大変なことになる」と威(おど)したのであった。
 八月十二日、細井管長は再び妙縁寺に下向され、憔悴(しょうすい)し切った面持で私に告げられた。「
先日の約束は取り消します。もう私にはどうにもならない ・・・・・

 これを聞いても、私はもう驚かなかった。これが
宗門の実態であった。すでに細井管長は当事者能力を失っていたのである。所詮、元凶の学会を抑える以外に解決はあり得ない。
 私は申し上げた。「
学会の代表と会って決着をつけたいのですが、なんとか猊下のお力で、学会に出てくるよう、お申しつけ頂けないでしょうか

 細井管長はうなずきながら「
わかりました。なんとか私から云いましょう。どうか、あなたが学会代表と話し合って、解決して下さい」といわれ、早々に妙縁寺を退出された。


         (  日蓮大聖人の仏法、冨士大石寺顕正会発行、浅井昭衞著、第十章より  )


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