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御在世の信心
だが、このような理不尽な解散処分、そして悪罵中傷にも、妙信講は微動もしなかった。この悪罵の嵐の中で、私は「今こそ御在世の信行に立ち還り、遥拝勤行(ようはいごんぎょう)による死身弘法を開始しよう」と全講員に呼びかけた。
普通の信徒団体ならば解散処分を受ければ壊滅して当り前。まして御登山も叶わず、御本尊の下附もなくて、どうして折伏弘通などできようか。
だが、妙信講にはこの大難を機に、熱原の法華講衆のごとき御在世の信行が蘇ってきたのである。
御在世には、入信してもたやすくは御本尊を頂戴できなかった。また熱原の方々は大聖人にお目通りすることも叶わなかった。しかしその身命も惜しまぬ純粋熱烈の信心は大聖人の御意に叶い、あの重大な御奉公となったのである。
この御在世の信心が、解散処分を機に、澎湃(ほうはい)として妙信講に湧き上がってきたのである。
このとき講員数は一万二千であった。
( 日蓮大聖人の仏法、冨士大石寺顕正会発行、浅井昭衞著、第十章より
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