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恐るべき魔の執念
二人の叛逆によって、池田の悪事が次々と暴かれた。
そして驚くべきことがわかった ---。あろうことか池田は、十月十二日の正本堂の落慶法要において、参列した全学会員に対し、副会長・福島源次郎を通して「本日、七百年前の日蓮大聖人の御遺命が達成されました。ありがとう」とのメッセージを伝達させていたのであった。
これがどれほど許されざる背信行為か。法論の当事者であり、かつ訂正文を作った原島嵩は、このメッセージを耳にしたときの驚愕を、次のように記している。
「私は、それをいちはやく聞くや、すぐに手を打つことを考えました。・・・
これがもしも妙信講の耳に入ったら大変です。・・・
また理事長談話として社会への公表を裏切ることになります。・・・ たとえ池田先生の言葉でありましても、これは阻止しなければならないと決断いたしました。・・・
しかし、そのことが池田先生の逆鱗(げきりん)にふれてしまいました」(「池田大作先生への手紙」)と。
原島嵩教学部長が驚愕するほどの背信行為も、池田には平然、そして予定の行動だつたのである。これが第六天の魔王その身に入りし池田の執念であった。
もう一つ驚くべきことがわかった。池田は十月一日に行なった正本堂完工式において、なんとローマ法王庁をはじめ米国等から招いたキリスト教神父数名を、法要の最前列に座わらせていた。ノーベル平和賞を狙っての策略であった。
そして、この穢れた正本堂に、六日後の十月七日、大御本尊は居え奉られたのである。もし邪法の神父で穢した事実が妙信講の耳に入ったら重大なことになる
--- これが隠密裡に御遷座をなした理由であった。
戒壇の大御本尊に対し奉るこの背筋の凍るような不敬冒涜、また妙信講の諌めに対する許されざる背信
---。魔の入った池田と諂(へつら)いの宗門高僧は、ついにこの大悪を敢えてなしたのである。
どうして大罰を招かぬことがあろうか。それがまず、自界叛逆となって現われたのであった。
( 日蓮大聖人の仏法、冨士大石寺顕正会発行、浅井昭衞著、第十章より
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