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悪の二人三脚
一方、宗門では正本堂建立十周年の記念行事が、同じ年の十月十二日、行われた。
この法要において阿部管長は、百六箇抄の「三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺本堂なり」の御文を引いて、あたかも正本堂がこの「富士山本門寺」に当るかのような、諂(へつら)いの説法をした。
またこの日、池田大作に「賞与(しょうよ)本尊」が授与された。御遺命破壊の大謗法者に、功を讃える意の「賞与本尊」が授与されたことは、阿部管長の池田への全面協力を意味している。
さらに二年後の一月二日、阿部管長はわざわざ池田の誕生日を選んで、法華講総講頭の任命を行なっている。この総講頭職は、池田が細井管長と抗争を起こした際、辞していたものである。
そして昭和五十九年三月三十一日、総本山で「大石寺開創七百年記念慶祝準備会議」が開かれる。この会議こそ「本門寺改称」の大陰謀を実現せんとするスタートであった。
池田はこの会議で、阿部管長の協力ヘの見返りに「新寺院二百箇寺」の建立寄進を申し出る。
まさに悪の二人三脚が、いよいよ始まったのであった
( 日蓮大聖人の仏法、冨士大石寺顕正会発行、浅井昭衞著、第十章より
)
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