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「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」
いよいよ本門寺改称実現の平成二年を迎えた。
この年の四月、顕正会の熱烈な弘通は、ついに二十万に達した。私はこの死身弘法を背景として、心血を注いで「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」と題する長文の一書を認(したた)めた。
この書は、阿部管長が曽て著わした二冊の悪書の邪義を一々に挙げ、その巧みな誑惑の根を完全に断ち切ったものである。
そして末文に云く「しかるに今、国立戒壇に安置し奉るべしとて大聖人が留め置かれた戒壇の大御本尊は、国立戒壇を否定するための誑惑の殿堂、邪法の神父を招いて穢した不浄の正本堂に居えられ奉っている。大聖人を辱(はずかし)め奉ること、これより甚しきはない。御法魂いかで安穏に住し給うべき。
宗開両祖の御悲憤を思いまいらせれば、その恐れ多さ、ただ背筋の凍るをおぼえるのみ。この重大なる不敬を謝し、御遺命違背の大罪を償う道はただ一つ。速かに、戒壇の大御本尊を清浄の御宝蔵に遷座し奉り、誑惑の正本堂を撤去すること。これ以外には断じてありません。
而してこれを為すべき責務と為し得る権限は、ひとり阿部管長の一身にあります。もし顕正会の言を軽んじ、一分の改悔なく、さらに『本門寺改称』などの悪事を重ねるならば、現当の大罰いかで免れましょうか。顕立正意抄に云く『我が弟子等の中にも、信心薄淡(うす)き者は臨終の時阿鼻獄(あびごく)の相を現ずべし。其の時我を恨むべからず』」と。
この諌暁書は阿部管長の肺腑(はいふ)を抉(えぐ)り、心に怖畏(ふい)を生ぜしめた。さらに七月には、顕正会員二万人を結集した大総会を横浜アリーナで開いた。
席上、私は叫んだ。「もし池田大作が本門寺改称を強行するならば、そのとき、全顕正会員はこぞって大石寺に総登山すべきである。二十万顕正会の全員が戒壇の大御本尊の御前(おんまえ)に馳せ参じ、大石寺の境内を埋めつくし、信心の力を以て本門寺改称を断固粉砕しようではないか」
二十万顕正会員の護法の決意は池田の心胆を寒からしめた。彼は予定していた来賓招待をキャンセルし、記念文化祭の規模縮小を秋谷会長を通して宗門に連絡してきた。
「来る九月二日の大石寺開創七百年慶祝記念文化祭については、顕正会がデモをかけてくるとの噂があるので、規模を縮小したい」と。
この通告どおり、記念文化祭は広布達戌の宣言もなく、無意味で小規模なものに萎(しぼ)んでしまった。
( 日蓮大聖人の仏法、冨士大石寺顕正会発行、浅井昭衞著、第十章より
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