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またも自界叛逆おこる
そして不思議なことが起こつた --- 。
あれほど一体のごとくに見えた池田大作と阿部管長の間に、またも細井管長のときと同じような疑心暗鬼(ぎしんあんき)が生じてきたのである。
池田は阿部管長が顕正会の諌暁により変心することを恐れ、圧力を加えた。その手口もまた細井管長の時と同じ、「月例登山」を激減させることだった。加えて二百筒寺の建立計画も意図的に遅らせた。
しかし、この経済的圧力は、かえって阿部管長を憤激させる結果となる。
このような中で、平成二年十月十二日、いよいよ大石寺開創七百年慶讃法要が行なわれた。企てのごとくならば、この席で「本門寺改称」が阿部管長より公表されるはずであった。
だが、阿部管長は読み上げた慶讃文の中で、わざと池田に当てつけるように「大本門寺の寺号公称は、広宣流布の未来にある」(取意)と述べた。
“裏切り”を眼前にした池田大作は怒り心頭に発した。
これより報恩抄に仰せの「修羅と悪竜の合戦」そのままの、醜悪そして凄絶(せいぜつ)な大抗争が始まる。
池田は阿部管長を猊座より引きずり降ろそうと、「ニセ法主」「法滅の法主」「天魔日顕」「極悪日顕」などと悪罵し、さらに阿部管長の醜聞を暴(あば)きたてた。
対する阿部管長は、その年の暮れに池田の法華講総講頭職を剥奪(はくだつ)し、ついで創価学会を破門、さらに池田大作を除名処分にした。
( 日蓮大聖人の仏法、冨士大石寺顕正会発行、浅井昭衞著、第十章より
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