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凡慮を絶する不思議
顕正会の清浄なる諌暁が一国に進む中にも、「修羅と悪竜の合戦」は際限もなく繰り広げられる。
一国諌暁よりほどなくして、阿部管長はついに自らの醜聞をめぐる法廷に引きずり出されるに至った。尋問するは学会の弁護団。この辱(はずかし)めに、阿部管長の憤怒は極限に達した。
その報復が、池田が「仏教三千年史上空前の偉業」と誇り、創価学会がシンボルとしていた正本堂を取り壊わすことだつた。
--- この骨肉相食(あいは)む凄絶な自界叛逆こそ、まさしく諸天の働きであった。
平成十年四月五日夕刻、突如として本門戒壇の大御本尊は、誑惑不浄の正本堂から元の奉安殿に還御あそばされた。実に昭和四十七年十月七日以来、二十六年ぶりの御帰還(ごきかん)であられた。
凡慮(ぼんりょ)を絶する不思議とはこのことである。細井管長は正本堂の意義を定めた訓諭の中で「後代の誠証となす」と壮語したではないか。
さらに正本堂に大御本尊を居え奉るとき「この正本堂に大御本尊を永久に安置する」と公言したではないか。
また池田大作も、正本堂の落慶法要に続く記念品埋納式において、落慶法要に着用した細井管長の法衣と自らのモーニングを正本堂の地下室に納め「三千年後、一万年後にこの地下室を開ける」と豪語したものである。
これらを見た宗門全僧俗の誰人が、二十六年後に還御あそばすことを予想し得たであろうか。
しかるに今、凡慮を絶して戒壇の大御本尊は、不思議の還御をあそばしたのである。
( 日蓮大聖人の仏法、冨士大石寺顕正会発行、浅井昭衞著、第十章より
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