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 --- 正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む ---

      本書提出の趣旨

 謹んで御本仏日蓮大聖人の一代御化導を拝し奉るに、三大秘法のうち、本門の本尊と題目はこれを御在世に弘通し給うといえども、本門戒壇の一事においては未だ時至らず、よって弘安二年に本門戒壇の大御本尊を顕わし給い、而して御入滅の年にこの大御本尊を二祖日興上人に付属し戒壇建立の大事を御遺命あそばされたこと、御付嘱状の面に赫々(かくかく)明々であります。

 以来、本宗の歴代御法主は、この戒壇の大御本尊を宝蔵に秘蔵し奉り、もっぱら広宣流布・国立戒壇の建立を熱祈(ねっとう)し給うてこられたのであります。
 されば歴代御法主は、あるいは御宝蔵の説法に「
時に戒壇建立は宗門の一大事なり」(日応上人・御宝蔵説法)と宣説され、あるいは「国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年今日に至れり、国立戒壇こそ本宗の宿願なり」(日昇上人・奉安殿慶讃文)等と、叫び続けてこられました。

 まことに広宣流布の暁の国立戒壇こそ、御本仏大聖人の唯一の御遺命、そして日蓮正宗七百年の唯一の宿願・悲願でありました。
 しかるに、創価学会第三代会長・池田大作は、国立戒壇が世間に抵抗多く選挙に不利をもたらすを恐れ、国立戒壇を否定するため俄に正本堂なる建物を大石寺境内に立て、これを「御遺命の戒壇」と称し、日蓮正宗全信徒ならびに一国を欺いたのであります。

 しかし、このような大それた誑惑が、どうして池田一人でなし得ましょうか。この誑惑を扶(たす)けたのが、実に宗門の細井日達管長(
御遺命違背の故に敢えて日達上人と呼びまいらせず)と阿部日顕管長(同前)の二人でありました。
 本来ならば「
衆議たりと雖も仏法に相違あらば貫首之を摧(くだ)くべき事」(日興上人・遺誡置文)の御遺誡のまま、この違背を断固打ち摧くべき立場の管長が、悲しいかな二代にわたって学会に諂(へつら)い、御遺命に背いたのであります。
 ことに阿部管長は、宗務院教学部長在任中より池田の意を迎え、三大秘法抄の御金言をほしいままに曲会(きょくえ)し宣伝いたしました。ために日蓮正宗全信徒は愚かにも国立戒壇の御遺命を捨て、正本堂こそ御遺命の戒壇と思いこむに至ったのであります。

 かくて昭和四十七年十月、戒壇の大御本尊は正本堂に居えられ奉ったのであります。

 鳴呼! 広布の暁に国立戒壇に奉安さるべき戒壇の大御本尊は、ここに池田の政治野心に利用され、世を欺く誑惑の殿堂、しかもキリスト教神父まで招いて汚した正本堂に居(す)えられ奉ったのであります。大聖人を辱めること、これより甚しきはなし。御法魂いかで安穏に住し給うでありましょうか。
 以来、今日まですでに十八星霜(せいそう)。この歳月、大聖人の御悲憤に思いを至せば、仏弟子たるもの、誰か一日片時たりとも心安穏に過ごし得ましょうか。

 そのうえ、仄聞(そくぶん)するに、池田大作は本年を期して大石寺を「富士山本門寺」と改称せんとしているとのことであります。この風説、実(まこと)でありましょうか。池田はこの改称により、正本堂を「富士山本門寺本堂」と位置づけ、誑惑の完結を狙うごとくであります。
 この風聞、信じがたいほどの大それたことでありますが、根拠のないことではありません。すでに阿部管長には、過去再三にわたって、日本人口の三分の一が入信すれば「富士山本門寺」と改称する旨の諛言を、高唱しております。またすでに、正本堂を御遺命の戒壇と偽り、謗法の神父まで正本堂に招き入れて恥じぬ無道心の二人であります。寺号の改称だけはしないという保証が、どこにありましょうか。

 もしこれを強行せんか、御本仏の御遺命は完全に破壊され、三大秘法はことごとく蹂躙(じゅうりん)されます。
 ただし、御本仏はこれを断じて許し給わず。立正安国論に云く「
もし正法尽きんと欲すること有らん時、まさに是くの如く受持し擁護(おうご)すべし」と。
 ここに国立戒壇のゆえに解散処分を受けた顕正会は、苛酷(かこく)の試練を乗り越え、その死身弘法すでに二十万に達しました。そしていま、御本仏の御命令を信心の耳に聞き奉り、二十万会員は一結し、捨身(しゃしん)護法の決意を堅めております。

 ここにまず、一切の責任を有する阿部管長に、深き懺悔と共に誑惑の徹底清算を求めるため、正本堂の誑惑の根を完全に切断する本書を、提出するものであります。


          平成二年四月二十七日




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