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 --- 正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む ---

 阿部管長に誑惑清算を訴う

 最後に阿部管長に、法のため、国のため、宗門のため、この誑惑の清算を強く訴えるものであります。

 正本堂の僻事(ひがごと)において、最も許されざる、そして最も恐れ多いことは、戒檀の大御本尊に対し奉る不敬、すなわちこの誑惑に学会・宗門一体になって大御本尊を利用し奉ったことであります。

 二祖日興上人以来歴代御法主が、ただ大聖人の御心に叶わんと、いかように戒壇の大御本尊にお仕えし、守護し奉ってこられたことか、このお姿は、新御宝蔵すなわち奉安殿落成(昭和三十年)の際の、日昇上人の慶讃文に明らかであります。
 「
夫れ戒壇の本尊は、宗祖日蓮大聖人の本懐、末法衆生帰命の法体、一宗依止の当体なり。宗祖大聖人弘安二年十月十二日之を建立して血脈付法の二祖日興上人に身に宛て給はるところなり。上人心魂を尽して護持し大石の寺に奉安し、一閻浮提の座主日目上人に付嘱してより、血脈の法主歴世に奉戴し、或る時は校倉を、或る時は土蔵を宝蔵として奉安し、専心に守護し、国立戒壇の建立を待ちて六百七十余年、今日に至れり。国立戒壇こそ本宗の宿願なり。三大秘法抄に『戒壇とは王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に三大秘密の法を持ちて、乃至、勅宣並びに御教書を申し下して建立する所の戒壇なり』と。之は是れ、宗祖の妙法蓮華経が一天四海に広宣流布の時こそ之の時なり。
--- 血脈付法の法主を継げる日昇 --- 『時を待つべきのみ、事の戒法とは之れなり』の金言を身に体して、必ず来るべき国立戒壇建立の暁まで守護すべし。後々の法主も一心同体たるべきと確信す。願くば宗祖大聖尊の法魂、安穏に常住し給わんことを
」と。

 この凛呼たる仰せこそ、日蓮正宗七百年の歴代御法主の、戒壇の大御本尊に仕え奉る御心であられる。
 しかるにいま、国立戒壇に安置し奉るべしとて大聖人が留め置かれた「戒壇の大御本尊」は、国立戒壇を否定するための誑惑の殿堂、邪法の神父まで招いてけがした不浄の正本堂に、居えられ奉っている。大聖人を辱め奉ること、これより甚しきはない。御法魂、いかで安穏に住し給うべき。宗開両祖の御悲憤を思いまいらせれば、その恐れ多さ、ただ背筋の凝るをおぼえるのみ。

 この重大なる不敬を謝し、
御遺命違背の大罪を償う道はただ一つ。速かに、戒檀の大御本尊を清浄の御宝蔵に遷座し奉り、誑惑の正本堂を撤去すること。

 これ以外には断じてありません。いまこれを為すべき責務と、為し得る権限は、宗門においてただ阿部管長の一身にあれば、速かに懺悔の心を以て大罪を償われんことを、強く願い求めるものであります。
 
 もし顕正会の言を軽んじ、一分の改悔もなく、さらに「本門寺改称」などの悪事を重ねるならば、現当の大罰いかで免れましょうか。
 すでに池田は蘇我のごとくに亡びつつあり、創価学会も音を立てて崩壊しつつあります。これ正本堂のゆえでなくて何でありましょうか。また阿部管長は登座以来、一山の衆徒より相承の有無を疑われ、宗門を二分する泥沼のごとき抗争に性心を労しております。これ御本仏の御遣命に背いた罰でなくて何でありましょうか。

 ただし、これらは未だ現世の軽報、恐るべきは後生の大苦であります。

 御本仏大聖人、顕立正意抄に云く「
我弟子等の中にも信心薄(うす)き者は、臨終の時、阿鼻獄の相を現ずべし。其の時我を恨む可からず」と。

                                              以上。

  平成二年四月二十七日
                                 日蓮正宗 顕正会
                                    会長 浅井 昭衞
  日蓮正宗 管長
    阿部 日顕殿





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