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                  《特別手記》 仏法の破壊者 --- 池田大作を裁く  
                   
                     本山と学会の亀裂 
                   
                   一方、学会と本山は、妙信講の諌訴を機に、深刻な亀裂が生じつつあった。池田大作は、細井管長に根深い不信をいだいたのである。 
                   それは表面 学会に迎合しながら、妙信講の正論に合えばたちまち本心を述べ、学会を裏切る細井管長の身勝手さに対してである。 
                   
                   細井管長は七回にわたって正本堂が御遺命の戒壇でないことを妙信講に述べられている。これは宗教上の良心からいわれたことに違いない。 
                   だが池田大作から見れば裏切りである。池田はここに創価教団の危機を感じたのであろう。細井管長をさらに完全に圧伏すべく、本山の経済封鎖を始めた。 
                   
                   これに対し細井管長はまた宗門の危機を感じ反発した。そして昭和四十九年春には全僧侶を本山に集め、「このままでは、ひさしを貸して母屋をとられる。ただ表面に服従して、ただ大きくなることを望むな、金をもらうからいいというような根性を捨てよ」(蓮華・昭和49年6月号)と激をとばし、また法華講の信徒に対しては「『入間革命』を御書だとか、誰(池田)を本仏だなどと間違ったことを耳にしたら破折せよ」と強烈な学会攻撃を公言するに至った。 
                   本文冒頭に、池田大作が細井管長を敵視していることを述べたが、理由はここにある。 
                  
                  
                   
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