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日蓮正宗妙信講 第十四回総会
浅井本部長講演
“たとえ妙信講をつぶすとも
正義は取り入れて頂きたい”
( 未来・広宣流布の前夜 )
或いは又、新尼抄には 「末法の始に謗法の法師一閻浮提に充満して、諸天いかりをなし、彗星は一天にわたらせ、大地は大波のごとくをどらむ、大旱魃・大火・大水・大風・大疫病・大飢饉・大兵乱等の無量の大災難並びをこり、一閻浮提の人人各各甲冑をきて弓杖を手ににぎらむ時、(略)此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば、諸王は国を扶け、万民は難をのがれん」と。
この仰せ、大聖人の御在世の事を仰せられているかの如くでありますが、同時にかねて未来の広宣流布の前夜のことを仰せられたものと拝する。将来、全世界の三毒ますます強盛に、やがて前代未聞の大斗諍の起きた時、此の御本尊を堅く身に帯し、心に存せば、個人に於ては我が身を全うする事ができ、又・国主が真剣に持てば一国を扶げることが出来るのだ、との仰せであります。
いま仏法の鏡に照らし、この日本の将来を思いますると、まことに寒々としたものを感ずる。御書に云く「倭人は危きにいて安きを歎き、賢人は安きにいて危きを憂う」と。
ここに大聖人様の御遺命を奉じて七百年、歴代法主上人の国家への御諌暁があったのです。日本を救う大仏法は、ただ日蓮正宗にだけ伝わっている。未だ宗門小たりとも三大秘法を清純に奉持して、この宗門が毅然として国家を諌め、折伏を行じているうちは、たとえ一国に謗法の罪はあろうとも国家の滅亡は断じてありません。
故に大聖人様は「諌臣国に在れば則ち其の国正しく、争子家に在れば則ち其の家直し」と仰せであります。たとえ国が曲らんとしても、正法を以て諌める者があれば国は正しくなる。家に於ても諂わずに諌めていく孝子があればその家はまっすぐになると。いたずらに大勢に順応して御身大切ばかり考えているのはまことに不忠の臣、不孝の子であります。
まさに日本の運命は大聖人の唯一の正系門家たる、日蓮正宗の如何にかかっているのであります。されば、この宗門を守る、即ち大御本尊様と血脈の猊座を真に御守護申し上げる事が、そのまま国家を守ることになる。
だから、その為には、いつでも身を捨てよう……。これが妙信講の再建以来の、終始かわらぬ精神であります。
( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加
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