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        日蓮正宗妙信講 第十四回総会

 浅井本部長講演
    “たとえ妙信講をつぶすとも
            正義は取り入れて頂きたい”

      ( 一言申し上げたい

 私は今日、この席で一言申し上げたい。

 それは宗門に於ける憂いであります。近年一部団体の政治進出に併い、世俗に迎合する空気、政治に引きづられる空気が、次第に感ぜられて来ております。

 私は政治に出る事自体を、直ちに逸脱という積りはない。若し政治の分野に、立正安国の大道理を理解せしむる為の進出ならば、それも一理あるのかも知れない。だが、政治進出そのものが目的となり、その為に仏法が・信心が手段となったら本末顛倒、断じて大聖人の御意には叶わないと私は思うのであります。

 そもそも、大聖人の御精神は立正安国であって、政治の権力斗争ではない。まして政治次元における、特定の主義や政策を論ずるものではありません。たとえどんな政策であろうと、また為政者が政治の最善を尽くしたとしても、一国が此の正しい信心を根底にしなければ、国家生活は必ず乱れてくると教え給うのが、大聖人の仰せであります。
 故に立正安国論には「
国王国宰の徳政を行う、然りと雖も唯・肝胆を摧くのみにして弥飢疫に逼られ」と説かれ、或は仏法を失い民族に福運が無くなってくれば「たとい五天のつわものをあつめて大鉄囲山を城とせりともかなふべからず」と遊ばし、又「影は体より生ずるもの、法華経をかたきとする人の国は、体にかげのそうが如くわざわい来るベし」とも仰せられているのであります。

 よって大聖人は国を救う為、時の政権の運用者に対し、身を捨てて諌暁遊ばしたのであります。その後、幕府は大聖人の只ならぬ御人格を知るに至り、妥協せんとして佐渡よりお帰えりになられた大聖人に対し、保護を加え布教を許し、以て幕府の体制内に入れて利用せんとした。だがこの時、大聖人は「
謗法の施を受けず」と、雪深き身延の山中におこもりになられた。この御振舞をよくよく拝すべきであります。若し単なる布教、一宗派の教勢拡張が目的ならば、幕府内に足場を得る方が便利であり、世間もそれを怪しむ者はない。
 だが大聖人の御心は国の為・法の為・一切衆生の為に、一国の謗法を止め、三大秘法を正しく受持せしむる以外にはあられない。よって不純な妥協を一蹴せられて、御身の安危を顧み給わず、あくまで時の政治権力に対し純粋なる帰依を求められ、諌暁されたのであります。

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