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日蓮正宗妙信講 第十四回総会
浅井本部長講演
“たとえ妙信講をつぶすとも
正義は取り入れて頂きたい”
( 妙信講は猊下の御本意に殉ずる )
現在、王法が仏法に冥じておりますか、王臣一同に信仰を持っていますか、有徳王・覚徳比丘の其の昔が実現されているか、勅宣・御教書が申し下されていますか、かかる条件なくして事の戒壇と云えば、大聖人の御遺命を無視した事になる。
されば正本堂は仏法上の意義から云えば、未だ事の広布をお待ち遊ばす戒壇の大御本尊様を、秘蔵厳護申し上げる蔵の意、即ちたとえ時に応じてその規模・荘厳はあらたまるとも、かっての御宝蔵・奉安殿と仏法上の意義に於ては、全く同じであります。
御法主上人猊下の御意も、そこにあられると拝し奉る。これを己義を構え、やれ三大秘法の完結よ、成就よと云い、正本堂が三大秘法・一期弘法妙に仰せの事の戒壇なりと云えば、大聖人の本門戒壇の御義をかくし歪曲することとなって了うのであります。何の為にそのような事をするのか、全く理解に苦しむ所であります。
重ねて云う。大聖人の重大なる法義を曲げては、我身も宗門も国家も危くなる。
故に妙信講は、講中の命運を賭してその訂正を強く迫るものであります。恐れ多いがこと此処に及ぶ故に敢て申し上げる。
猊下の御内意は、すでに講頭先生と共に四月三日、しかと窺い奉りました。妙信講は猊下の御本意に殉ずるものであります。
( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加
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