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日蓮正宗妙信講 第十五回総会
本部長指導
日本の広布・国立戒壇こそ世界平和の鍵
国家諌暁なくして国家体験はおこらず
十万世帯 御入滅七百年までに達成せん
十万の捨身の法華講衆あらば……
ここに 末法濁悪・事の広宣流布の前夜、一国の前途に只ならぬものを感ずる時、十五年の試練に堪えぬき
御遺命を守った妙信講こそ、目師様の露払い・諌暁団体として 毅然と立たねばならぬ使命がある。
私は確信します。もし国に十万の捨身の法華講衆あれば 一国は必ず動く。また、たとえ非力にして事ならず途上斃れるとも、必ず骨は時の御法主上人がひろって下さるに違いないと確信しております。
あの幕末の動乱期、本宗の一末寺の住職、即ち信行寺の日盛(にちじょう)という方は
幕府に諌状を呈せられた。後の五十三代日盛上人であります。だがこの時はまだ
末寺の一住職であられた。
当然取締りの筋から、富士派の一末寺の住職が身のほどもわきまえずと、本山に対して厳しい誡めがあった。だが時の御法主は
あの日霑上人であられた。
日霑上人は幕府のとがめに対して 何とお答えになられたか、云く「日盛が一末寺の住職として国諌したことは たしかに分に過ぎたること、ゆえに自分からもよく誡める。但し
よくよく思うに、彼は身は卑しと雖も、その行う所は宗祖大聖人の偉行である。本来彼の云う所は
自分が云わねばならない事である。今まで自分が云わなかったのは 決して本意ではない。また今まで黙していたのは
決して国の為に我が身を惜み、仏法の為に命を惜んでの故ではない、ただ寡聞にして
身がととのわなかったからである。だが今時の危急を見て云わずば すでに謙遜に似てかえって不忠、身が仏法中怨の罪をつくる。今日よりは自分が一宗を代表して
所存を述べる」と仰せられ、あの有名な霑尊の大国諌があられたのであります。
されば妙信講 たとえ途上に斃るるとも、何の憂える所がありましょう。ただ目師様御出現の露払い、本化国主の王路を開く斗いをするのみであります。
( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加 )
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