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破邪新聞 昭和五十一年二月十五日号 (第14号)
猊下、本門の本尊について御説法
新年僧侶寺族初登山及び法華講連合会初登山の砌
事の戒壇とは本門戒壇の御本尊
(略)
戒壇の御本尊安置の伽藍が、天皇が建立した国立の建物でなけれは事の戒壇でないと言うのは、戒壇の御本尊を冒清するのも甚だしいものであります。
三大秘法抄の如く「有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ね」たらよいので、それが既に日本最勝の地として富士山が選ばれたのであり、そこに本門戒壇の本尊を安置し奉るのである。「建立」の言葉は御本尊安置を言うのであります。
戒壇の御本尊安置の伽藍は百六箇抄の「下種の弘通の戒壇実勝の本迹」に「三箇の秘法建立の勝地は富士山本門寺の本堂なり」と既に定められて居ります。
では戒壇の御本尊の御前にして、いかなる授戒が府われるかと言えば末法無戒でありますから自誓受戒であります。戒壇の御本尊の御前で一心に南無妙法蓮革経と唱え奉ることでよいのです。
三大秘法口決には、神力品の末文を引かれ、畢竟住一乗、是故有智者、聞此功徳利、於我滅度後、応受持斯経、是人於仏道、決定無有疑。の文を釈して、必ず三大秘法の中の本門寿量の本尊をもって、一切衆生の生死の苦を救い煩悩を覚らしめます。本門寿量を信ずる智者は、本門寿量の戒壇の御本尊の功徳利益を聞いて、末法に於いて、三大秘法の本門寿量の戒を清浄に受持する故に、此の智者は、受持即受戒にて即身成仏は疑いないと釈しております。
ここに謹んで御本尊を拝し奉るに、御本尊の其の図式がそのまま戒壇と拝し奉るのであります。三大秘法抄に「日蓮慥かに教主大覚世尊より口決せし相承也。今日蓮が所行は霊鷲山の稟承に介爾計りの相違なき、色も替らぬ寿量品の事の三大事なり」と御本尊に正しく霊鷲山相承のすがたが表わされておりますし、又御義口伝・寿量晶下に「時我及衆僧供出霊鷲山の事」の項に「霊山一会儼然未散の文也.乃至霊山とは御本尊並びに日蓮等の
類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説く也」と御本尊と我等大聖人の弟子檀那の南無妙法蓮華経と唱うる者とは全く一体であって、之れこそ事の大戒壇であります。
以上のことは当体義抄に(略)と、全く本門戒壇の大御本尊即ち本門事の大戒壇であります。
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細井管長の狂おしいまでの、御遺命破壊の「言葉」、ここ御遺命守護資料館に留めましょう。
「国立の建物でなけれは事の戒壇でないと言うのは、戒壇の御本尊を冒清するのも甚だしい
」との謂いは、国立戒壇を叫ばれた歴代先師を冒涜するも甚だしいことでありましょう。
そしてまた、自らが「富士山に国立戒壇を建設せんとするのが日蓮正宗の使命である」(大白蓮華三十五年一月号)、 「真の世界平和は国立戒壇の建設にあり」(大日蓮三十五年一月号)、 「事の戒壇とは、富士山に戒壇の本尊を安置する本門寺の戒壇を建立することでございます。勿論この戒壇は広宣流布の時の国立の戒壇であります」(大日蓮三十六年五月号)と、戒壇の御本尊を冒清してきたことになりましょう。
そして、「御本尊の其の図式がそのまま戒壇」と謂い、
「本門戒壇の大御本尊即ち本門事の大戒壇」と言い、一月四日法華講連合会初登山における「戒壇の御本尊在す所『事の戒壇』」なる説法においては 「正本堂は事の戒壇であります」と言ったことでした。
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