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             破邪新聞 昭和五十一年十二月三日号 (第19号)

              正宗批判には速やかに反駁を
      


  日達上人御説法

  教師講習会開講式の砌

 日達上人猊下は過日行われた恒例の教師講習会開講式に出席され、元妙信講問題の折からも、外部からの日蓮正宗に対する批判には、速やかにこれを反駁しなければならないと御指南されました。



 
三ヶ月ぶりの破邪新聞 第19号の一面は、「正宗批判には速やかに反駁を」と題する細井管長の説法と、円頂方袍」 と「黒幕」が載せられています。
 その黒幕」の一節には「
悪党と悪党が組んで、いつまでも仲良くいくわけがなかろう。問題おこして組織からはみ出した人は、行った先々で問題を起こす。ババ抜きのババをせっせとかかえこむ浅井さん。御苦労さま」と。

 二〜三面には 「
ついに猊下を路上で面罵」という記事が、四〜五面には 妙信講の謗法批判への反論として「物見遊山なら神社仏閣に行っても差しつかえない」とする論文が三件、六面には武田広島支部長の私は来年の八月に注目する 御遺命守護は完遂するのか」という手記が掲載されています。 

 この五ヶ月後(昭和五十二年四月)には、法廷闘争における妙信講との和解が成立することになるのですが、この当時から山崎氏は創価学会系列会社の東洋物産やシーホースの放漫経営処理問題に関わることとなり、やがてその件で「いつまでも仲良くいくわけがなかろう」の自らの言葉通り、
足をすくわれることになるのでした。

 この号で、わたしの家に送られてきた破邪新聞は最後でした。妙信講との法廷闘争の終結を以て、山崎氏の「
妙信講戦争」は終わりとなったのでしょうから、次号が発行されることはおそらくなかったのでしょう。
 そして妙信講との法廷闘争が終わる否や、創価学会による本山への経済封鎖が始まったのでした。それは、自ら「御遺命の事の戒壇」と称した、正本堂の発願主・池田会長の命によるものでした。



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「 冨士大石寺顕正会の基礎知識 」サイト運営責任者 櫻川 忠