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    頌春

 昭和三十五年の新春を、大白蓮華の愛読者とともに慶賀申し上げます。

 客年十一月十七日、日淳上人は非滅現滅の相を示されて、霊鷲山にお還りあそばされました。本来ならば、宗門も喪中というべきでありましょうが、御本尊様は、常住であるとの考えより、世間通途の服喪というような行事は、宗門においてはいっさいないと申して、さしつかえないのであります。もしあるとすれば、折伏行があるだけであります。

 創価学会も、本年は百五十万世帯をめざして躍進していると聞きおよびますが、その達成には、一日の解怠も、一日の怠惰もゆるされないはずであります。
 むかし朝鮮では、帝王がなくなると、長い長い喪に服しましたため、服喪の期間がおわろうとする時分には、また新らしい帝王が死ぬので、国民は始終服喪していたために、服喪中の白い着物が、ついに常任の喪服になってしまったといわれております。 
 日淳上人のご一生は、折伏弘通の一生でありますから、折伏行をつづけるということが、日淳上人にたいする唯一のご報恩であると思います。

 「
難来るを以て安楽と意得可きなり」(御義口伝七五〇ページ)と、日蓮大聖人様は申されておりますが、本年は、立宗第七百八年、日蓮大聖人伊豆ご流罪第七百年に相当いたします。学会世帯数百五十万が達成すればするほど、三障四魔紛然としてきたることを覚悟せねばなりません。
 「
妙とは春に逢うが如く蘇生の義なり」と申しますが、日蓮大聖人様の伊豆ご流罪という生死の岩頭があってこそ、領主伊東八郎左衛門尉の折伏もなりたったわけであります。克(よ)く折伏するものは、この死生の間の消息につうじて、難のきたるをもって喜びとするものが、第一級の折伏戦士というべきであります。 
 有師は化儀抄に「
当宗は折伏の宗なり」とはっきり申されており、寛尊は「らい惰懈怠のものは是れわが弟子に非ず、すなわち外道の弟子なり。慎むべし慎むべし、勤めよや勤めよや」といましめられております。 これみな、折伏のたいせつなることを説いております。

 いま新春にあたって、本誌の愛読者にお願いすることは、折伏行にまい進して、広宣流布の励行にうむことなき一か年を、勇猛精進してすごされんことであります。
 日本人なれば、元朝にあたって思いおこすものは、旭日に輝く富士山でありますが、その富士山に
本門戒壇を建設せんとするのが、日蓮正宗の使命であり、本誌大白蓮華の使命であることを忘れてはならないと思います。
                                    昭和三十五年一月一日
                                    大白蓮華



 この昭和三十五年・登座直後の、新春を慶賀する日達師の論旨は、先師・淳師の服喪より折伏をと一貫して強調し、結びにおいて大白蓮華誌読者に対して
国立戒壇を建設せんとするのが、日蓮正宗の使命」と述べ、その使命を忘れてはならないといましめたことでした。

 しかしこれは、どうしたことだろうか。
わたしが今見ている「日達上人御説法集」は、昭和三十九年一月一日発行の初版本(非売品)でありました。ここにはすでに「国立戒壇」の語はなく、かわりに「本門戒壇」と改竄されていたのでした。
 いわゆる「
国立戒壇放棄の公式決定」は、これより六年後の昭和四十五年五月三日であることを思えば、あまりに手際がよすぎるというべきではないだろうか。

 発行所は創価学会傘下の鳳書院、出版願主は池田大作、印刷所は明和印刷であることでした。この時点で、著者たる日達師・乃至宗務当局の意思が働いたとは、さすがに考えにくいことでありましょう。
 改竄などとは、いやしくも言論・出版人にあって、到底がんじ得るところではない。そこには必ずやもだしがたい筋からの、激しい圧力・強制があったことでありましょう。

 後に社会問題となる藤原弘達氏への言論弾圧、そして手段を選ばぬ山崎師団等の盗聴・破壊工作を平然と為す創価学会の手法が、すでにして顕れたところのひとつの証拠と見ることができるかもしれません。
 一方で猊下と崇め奉っておながら、その発言を勝手に改竄して羞じない、そうした池田会長のやり口の片鱗が、まずはここに見られることだとわたしは思うのでした。

                             ( 平成十三年十二月六日、櫻川 記 )


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