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   三大秘法抄拝読

 
世間の我執・偏見による論難

 然るに世間に於て、所謂日蓮門下と称する宗々に於ては我執のために我見をかざり、此れに反対して種々論議をなすものがありますが、皆自らの偏見を暴露してをるに過ぎないのであります。

 その一・二を挙げて見ますると、第一、大聖人の戒壇は本円戒を持つところを仰せられるので、別に壇を築かれるのではないといふのであります。此れは大聖人の御法に於ては御本尊が主であるということを知らぬから起る僻見であります。

 第二には、戒壇建立を仰せられたが、その御本尊は建立の時にゆづられて、大聖人は建立を為されなかつたといふのであります。此れは大聖人は御本尊の相貌を御教示なさつたので、其体は何人が建立してもよいとするからであります。此れは御本尊の所以に暗く、大聖人・観心の御本尊なることを知らぬからであります。

 第三に大聖人の御筆を御本尊と仰ぐも、他の御本尊を立て第一となすものがあります。此れは由緒因縁に暗いからであります。

 数へ挙げれば幾つもありまして、その迷論の起る原因にも種々あります。しかし総括して此れ等は結局、大聖人の
御施化の始終を知らぬからであります。此の三大秘法抄によつて戒壇の御意義を拝し三秘の帰趣を拝察するならば、此れ等の迷論は起る筈がないのであります。
 
 此れ不相伝なるが故に、仏法の深義に迷ひ我見に任せて御法門を論ずるがために、堕するところの結果であります。伝教大師は
法華を讃むるといへども還て法華の心を殺すと仰せられたが、この言葉は直ちに此れ等に当てはまるのであります。
 佐渡始顕の本尊を第一とするものは、華厳・法華の勝劣を無視するものであり、戒壇を否定するもの・文底の御本尊を知らざるものは、寿量品・神力品の義を殺害するものであります。恐るべく、憤しむべきであります。



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