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日蓮大聖人の教義
( 国家的の戒壇が戒法 )
法華本門の大戒は前に述べました如く、大御本尊を受持し奉ることでありますから、此れを戒壇と仰せられるのでありますが、大聖人は広く此の妙法が受持されまして国家的に戒壇が建立せられるその戒壇を、本門の戒壇と仰せられましたことは、三大秘法抄によつて明白であります。
それ故三大秘法の本門の戒壇とは、一にそのことであらせられると拝さなくてはならないのであります。戒と申しますれば個人の行動の規律でありますが、此に於ては国家的の戒壇が戒法になるのであります。
もとより本門の戒壇と申すことは、迹門の戒壇に相対するのでありますが、かようなところから参りますからして、其の義は全く異つて参るのであります。
一般に戒壇は受戒の作法の場所でありますが、本門の戒壇は大御本尊安置の場所であるのであります。而して、信行の中心の道場となるのであります。此れについて世間では、依然・本門の戒壇とは唯・作法の場所としたり、或は信行の中心道場とのみ考へてをりますが、それは猶未だ到らぬのでありまして、此等の義は大御本尊によつて定まるのであります。
世間では大聖人の御施化の究竟が、大御本尊にあらせられるといふことを知らないから、戒壇がわからないのであります。若しそのことがわかれば、一切衆生に総じて御授与の御本尊がなくてはならないといふことが、はつきりすることができる筈です。
而して又、その大御本尊の安置の場所がなくてはならず、従て其の処を戒壇と称せられることも了解し奉ることができる筈であります。
本門の戒壇は、かような御恩召によるのでありますから、大聖人は弘安二年十月に大御本尊を建立遊ばされたのであります。故に御本尊に、戒壇の願主・弥四郎国重と御銘記遊ばされたのであります。
しかして戒壇の場所でありますが、三大秘法抄には霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立せよと仰せられてありまして、何処とも御指し示しがありませんが、二祖日興上人へは富士山に本門寺の戒壇を建てよ、と御遺付遊ばされてをります。
此れは、戒壇は国家的のことでありますから、其の指示による立前と致しますから、三大秘法抄にはその場所を御指し示し遊ばされなかつたのであつて、しかしその撰定に於ては大聖人の御思召を土台として撰定せらるべきは当然でありますから、そのために二祖日興上人に御遺付があつたと拝されるのであります。
(略)
(句読・改行等、便の為に当サイトにて添加)
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