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教義研鑽の態度
日興上人の御遺誡に曰く、「御書を心肝に染め極理を師伝し、若し暇あらば台家を学ぶべきこと」と。
此れ実に、聖祖の教義研鑽の羅針盤たるなり。求道者にして若し此の大途を踏みはづさば、遂に祖教に体達するを得ざるなり。御書を心肝に染めざれば、聖祖の御霊格に親炙(しんしゃ)し奉るを得ず。
而して極理を師伝せざれば、我見に堕するを免れず。此の二途を完うして、智見初めて具はるを得る。
然るに古来・聖祖門下に於て、御書を手にすることを知つて、極理の師伝を知らず。これを忽がせにするもののみを見る。此れが為に我見に堕して、救ふべからざるに至る、誠に嘆ずべきである。
今日、異流百出・教学の紛乱、殆んど収拾すべからざる状態にあり。此の趨勢・益々盛にして止まるところを知らぬ有様なるは、その依て起るところ此の用意を忘れ、眇目を以て祖書を妄断し、未だ得ざるを得ると為すと謂ふ..となすが故である。
書を読むことは容易である、しかし書物の意を把(つか)むは難事である。教を受くるは容易である、しかし教旨を体達するは難事である。弘法空海に一を三と読むの大誤ありといはれ、無一不成仏を逆解する痴者ありしといふ。
天台に於て章安、孔子に於て顔回、その旨を知るのみといふ。もつて、解しがたく達しがたきを知ることができる。依つて真剣に道を求めるの士は、常に此の弊に堕せざるの用意が肝要である。
即ち未だ至らざるなりとして御書を拝すると共に、極理の師伝といふことに心を置かざるべからず。稍々もすれば法によつて人によらざれの経文に執して、強ちに人を斥けむとするものがあるが、此れ誤れる解釈にして・師と法と合せざれば、法によつて人を捨つべしといふなり。
師あつて法正しく・法あつて師正しきを得、師言若し法に合せずとなさば、躊躇するところなく捨て、更に師を求むべきである。此の場合、我れには遂に師あらずといはば上慢なり、中途にして挫折するは怯懦(きょうだ)なり。此の二者はついに、道を得ること能はざるべし。怯懦者は猶・道を得る機あらんも、上慢に於ては道を得べからず。
方便品の中の「比丘比丘尼・有懐増上慢、優婆塞・我慢、優婆夷・不信」を文句の四に釈して、上慢と我慢と不信とは、四衆通じて有り。但し出家の二衆は多く道を修し禅を得て、謬つて聖果と謂ひ偏に上慢を起す。在俗は矜高にして、多く我慢を起す。女人は智浅くして、多く邪僻を生ずと、
御義口伝に曰く「此四衆は今は日本国に盛んなり、乃至・比丘比丘尼・増上慢とは、道隆・良観等に非ずや、又鎌倉中の比丘尼等に非ずや。優婆塞とは最明寺、優婆夷とは上下の女人に非ずや」と。
仏法を得ざるのみにあらず、かへつて仏法を失ふものは、上慢と我慢とである。仏法を行じて地獄に堕る人は十万の土の如しとは、蓋し此の二慢を指すか。
上菩提を求むるものは、省みて此の二慢を捨離し、正法と正師とに帰せなければならぬ。雪山童子が半偈のために身を投げし謙譲と真剣とは、求道者の精神であらばならぬ。
然るに聖祖門下に於て、如何にこの二慢の多きこと乎。御書を手にして一知半解・我れ既に得たり・師たりといつて、慢執・天より高きものあり。此の輩、仏を破り法を濁す幾許なるを知らず。これを仏法の怨敵といふ。
求道者は師を択ぶに、師伝曖昧にして法統明らかならざるものは、悉く此の類として斥けざるべからず。
正師とは日興上人と、その門流あるのみ。
昭和七年五月 (大日蓮)
(句読・改行等、便の為に当サイトにて添加)
この淳師の指摘を以て、七十年後の今日の宗状をみるにつけ、その慧眼の射程の深さを思い知るばかりでありました。
まさしく「仏法を失ふものは、上慢と我慢」とでありましょう。
上慢の者は、「国立戒壇は本宗の教義ではない」と云い、「正本堂は事の戒壇」とうそぶき、「王法を“あらゆる社会生活の原理”」と歪曲し、「王臣を“民衆”」とたばかり、「有徳王を“池田先生”」と諂曲し、「勅宣・御教書を“建築許可証”」とごまかし、「霊山浄土に似たらん最勝の地を“大石寺境内”」と偽り、「時を待つべきのみを“前以て建ててよい”」とたぶらかしたことでした。
そしてまた我慢の者は、正本堂をして「夫れ正本堂は末法事の戒壇にして、宗門究竟の誓願之に過ぐるはなく、将又、仏教三千余年史上空前の偉業なり、乃至、正本堂の完成を以て三大秘法ここに成就す」との誑言をなし、大聖人をして摂受の聖僧に貶め、自らをして折伏の大賢王たるべしと、慢執・天より高くして仏を破り法を濁したことでした。
宗門にあっても講中においても、この「仏法を失ふものは、上慢と我慢」との轍をまたもやさらに踏むことなきよう、かかる淳師の指摘をかみしめるべきでありましょう。
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