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   立正安国
  
 本月は末法有縁の御本仏・日蓮大聖人が非滅の滅を現じ給ひし御忌月である、弟子檀那たるものは挙げて法要を厳修して法味を捧げ奉らねばならない。

 聖祖は弘安五年九月池上におかせられ、既に御人滅の期近きをもつて、改めて
立正安国論を御講遊ばされ、御一期の弘法・立正安国にあらせらるるの旨を明し給ひ、而してその正法とは本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇の三大秘法なることを御説き遊ばされ、

 次で本門戒壇の大御本尊を日興上人に御授けになり、上人をもつて大導師と定めさせられ、その他御入滅後のことども一切を御遣嘱遊ばされ、十月十三日辰の時・大曼茶羅を中央に掲げさせられて御弟子檀都等読経唱題の中に、安祥として御入滅遊ばされたのである。

 聖祖が立正安国に弘法
究竟の御主意をおかせ給ひしは、一切衆生成仏の枢要国家成仏にあり、真浄国土の顕現に於て初めて事の寂光土を御見出しなさることができる、となさるるが故である。
 個人生活の完成は国家的生活と離れてある訳にはいかぬのであつて、密接不可離である。個人生活と国家生活とは一を以つて貫き、その完成は二あつて二でない。此れ聖祖が特に、
国家成仏を強調遊ばされし所以である。

 如何に個人が正当且つ完全に生活しやうとしても、国家社会が然らざればしかくあることはできないのである。此れ
与同の罪の然らしむるところであつて、その罪を免れざる限りできないことである。
 故に聖祖は立正安国論に
帝王は国家を基として天下を治め、人臣は田園を領して世上を保つ、而るに他方の賊来つて其の国を侵逼し、自界叛逆して其の地を掠領せば、豈驚かざらんや豈騒がざらんや、国を失ひ家を滅せば何れの所にか世を遁れん、汝須く一身の安堵を思はば先ず四表の静謐を祈るべきものかと仰せられ、又国家を祈りて須く仏法を立つべしとも仰せられたのである。

 個人生活の完成は、国家生活の完成によつて見出される。此れは此の二者が無始無終に、共にあるといふ信念の上に見らるるのである。而して此の境地に於てこそ、国家が主であつて個人が従となる、即ち国家的生活が先主であつて、個人の生活は後従となるのである。此は
法華不信の輩の、夢にも思はざるところである。

 (略)
                               昭和十年十月  (大日蓮)

                            (句読・改行等、便の為に当サイトにて添加

 
 不相伝家においては、この法華本門の
本国土妙の法門の深旨、夢にも思わざるところでありました。
 しかるに、その趣旨を百も承知していながら、檀那の横暴に諂ってこの大事の法門を捨去するは、その罪・法華不信の輩と比べるべくもありません。



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