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田中香浦氏の「日蓮正宗の妄説を破す」の謬見を駁す
(略)
しかして御伝土代には、熱原の事件に御感あつて御本尊を建立遊ばされたことを、記録してあります。
此の御本尊の銘記を拝すれば、戒壇の願主弥四郎国重となつてをります。
申す迄もなく戒壇建立は、大聖人の旋化の究竟であります。( 此れは智学氏の後を経ぐ、国柱会なら解るでせう
)
そこで、戒壇の御本尊・即ち本門寺の戒壇の御本尊の建立こそ、大聖人の御本懐であることは当然であります。(略)
次に日興上人が原殿御書に、木像を肯定してをられるといふが、何処に肯定してをられますか。文を拝すれば否定してをられることは、明かではないですか。
波木井氏が、日朗師の持ち去つた木像のかわりのものを造立しやうとせられたのを禁止遊ばされるのに、もう木像を祀るべきではないと仰せられたのであります。
その場合、大聖人の御所持の木像であるならばと仰せられたのは、一応のお言葉であるは文によつて明かではないですか。(略)
御抄(立正観抄)の思召を拝すれば、天台の一言の妙法を明らかにして、もつと立入つた御解釈があられる筈であることを拝察できるのであります。(略)
静明・心賀の説が、止観の限界を知らず行き過ぎであることは当然でありまして、聖祖の破折を受けられたが、天台が秘し給ひ・聖祖がお説き遊ばされるのは、止観以上の法華の奥底です。
それを宛も、静明・尊海の流れを汲んで止観を高揚するのが、本因抄であるかの如く考へてをる香浦氏の目は、どうかしてをるのです。仙波教学の影響を受けて偽作した、とはコジツケも甚しいものです。
(略)
昭和二十八年七月 (大日蓮)
(句読・改行等、便の為に当サイトにて添加)
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