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仏教手ほどき ( 仏教手保登記 )
自 序
仏教浩瀚(こうかん)、之を究むる容易の業にあらず、是を以て竜樹は竜宮に入り、伝教は支那に渡る。諺に云ふ倶舎十年・唯識八年と、仏教の研究豈凡庸の能くする所ならんや。
予・性魯鈍、加ふるに浅学、況や仏教に於いてをや。而して今本書を著はす。世人必ず云はん、之れ痴にあらずんば則ち狂のみと、夫れ然り、然りと雖も予や聊か信ずる所ありて之を草す。世人の褒貶(ほうへん)は予の問ふ所にあらず。予は唯・予の所信を披瀝して以て仏恩の万一に報ぜんと欲するに過ぎざる也。
唯恐る・不文不才、其器にあらずして猥りに大聖の至道を論じ、縦に本仏の大教を述ぶることの、甚しき僭越にあらざるなきかを。幸に其教旨を誤らず、其聖慮に背かずとせば、予の本懐之に過ぎず。聊か記して序文に代ふと云爾。
本書刊行に当り、予の第一に記せんと欲する所は、堀上人猊下の予の為に親しく原稿御校閲の労を辱うせられ、懇切なるご指導を賜はられしのみならず、題字をも恵まれたる事にして、予の深く心肝に銘して忘るる能はざる所、並に上原尊師の綿密なる御注意と、深厚なる御後援を賜はられし事、其他同信の諸賢より多大の御援助を蒙りし事、共に記して、併せて感謝の意を表すと云ふ。
昭和三年九月上浣
著者 中村 徳之進 記
( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加 )
著者が述べるように 「堀上人猊下の予の為に親しく原稿御校閲の労を辱うせられ、懇切なるご指導を賜はられしのみならず、題字をも恵まれ」とは、さながら信徒冥利に尽きる..というべきでありましょう。
まさしく 「仏教浩瀚、之を究むる容易の業にあらず」でありました。いわんや 「仏教の研究豈凡庸の能くする所ならんや」でありましょう。
そして、「予・性魯鈍、加ふるに浅学、況や仏教に於いてをや。而して今本書を著はす。世人必ず云はん、之れ痴にあらずんば則ち狂のみと、夫れ然り、然りと雖も予や聊か信ずる所ありて之を草す。世人の褒貶は予の問ふ所にあらず」とは、以て著者の心意気のほとばしるところでありました。
さて、この昭和三年といえば、かの池田名誉会長が生まれた年でもありました。昭和三年一月二日、海苔製造業者・池田子之吉(ねのきち)と一(いち)の間に、五男・太作(二十五歳に大作と改名)として、東京府荏原郡(えばらぐん)入新井町(いりあらいまち)大字 不入斗(いりやまず)、現在は大田区大森北二丁目に生をうけ(戊辰)、後に御遺命破壊の使命を果たすこととなるのでした。
ちなみにこの年に生まれた人には、若乃花(初代)やクメール・ルージュのポル・ポト(Pol
Pot)や手塚治虫氏等がいるようです。この年の人はいま
、その齢・七十四歳。
創価学会においては、名誉会長のみならず会長や理事長、副会長や理事等、みな高齢化が進んでいることが、創価学会ウォッチャーから指摘されています。
そうした老害組織は往々にして、一部の幹部にあまりにうまみのある権益・特権等が、集中するのでした。よって、老いてなを執着強情にして既得権にしがみつき、ついに自ら手放すことはできないことでした。
旧・ソ連共産党の歴代書記長や政治局員等の往く末をみても、そこはさながら老人天国となっていたことでありました。一党独裁と宗教権威、一見遠いように見えるこの二つの組織には、同じような原理(
端的に云えば独善の原理 )が通奏低音として響いているのでした。
そしてまた、日本共産党と創価学会においてしかり、でありましょう。さればこそ、そこにはまた近親憎悪にも似た感情がはたらいたこと、なのでありましょう。
(
平成十四年二月二十三日、櫻川
記 )
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