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御法主上人猊下御指南
創価学会秋谷会長外十二名の連名による質問に対する回答・教示
( 全国教師指導会(1月6日)における訂正の趣旨 )
今般、私の1月6日、同10日の全国教師指導会における発言を訂正したことなどについて、創価学会の秋谷会長外12名の連名による質問がありました。これは、本書が当方に到着した3月1日の1日前、2月28日付の聖教新聞に、すでに掲載されるという、早急な形で一般に発表されました。
よって、ここに一文を草し、この件の質問に対する回答、並びに宗内僧俗に対する教示とします。
去る1月6日の全国教師指導会での発言中、日達上人のお言葉に関する訂正は、「日達上人のお言葉はもっと広い意味での『広宣流布』ということをおっしゃったと、私は思います。ですからその後の御指南等においても、明らかに『三大秘法抄』『一期弘法抄』の戒壇が正本堂であるということは、そのものズバリの形でおっしゃってはいないと思うのであります」と述べたことについて、昭和43年10月以前に、正本堂につき『三大秘法抄』『一期弘法抄』の御文意を挙げての日達上人のお言葉があったので訂正する。(昭和43年10月とは、池田名誉会長が着工大法要で『三大秘法抄』の戒壇の文を引いて正本堂を指定した時期)と、『大日蓮』(本宗機関紙)の本年2月号に掲載したものです。
訂正における日達上人のお言葉とは、次の三文に該当します。
第一は、昭和40年2月16日、第1回正本堂建設委員会の砌のお言葉で、「大聖人より日興上人への二箇の相承に『国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり」とおおせでありますが、これはその根源において、戒壇建立が目的であることを示されたもので、広宣流布達成のためへの偉大なる御遺訓であります」と、『一期弘法付嘱書』の文を挙げられ、この御文が、ただちに正本堂であるとは仰せでないが、戒壇の大御本尊安置のことと正本堂の関係が述べられています。
第二は、昭和40年10月17日、創価学会本部幹部会の砌、「ただいまお聞きのとおり、だれも想像しなかったほどの多額の御供養をお受けいたしました。広宣流布達成のための、大折伏の大将である池田会長が、宗祖日蓮大聖人の『富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり』のご遺言にまかせ、戒壇の大御本尊様安置の正本堂建立を発願せられ、学会の皆さんに建立御供養を発願せられて、このりっぱなる成果となったのでございます」と仰せられています。
第三は、昭和43年1月号の『大白蓮華』に、「此の正本堂が完成した時は、大聖人の御本意も、教化の儀式も定まり、王仏冥合して南無妙法蓮華経の広宣流布であります」と言われ、正本堂について、『一期弘法抄』『三大秘法抄』の一部分の文の上に、その意義を顕わされています。
したがって、私は謹んで前述のごとく訂正したのです。また、その後、日達上人が昭和47年4月28日に示された訓諭中の定義は、正本堂がその時、ただちに『一期弘法抄』『三大秘法抄』の戒壇ではなく、その意義を含むものと改認あそばされたことが明らかです。
(上記科段は、便の為当サイトで添加 )
顕正会の「御遺命守護」に関わる部分のみ、御遺命守護資料館の貴重な資料として抜粋して紹介しました。著作権者からの指摘・要請があれば、相応の対応を検討します。
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