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御法主上人猊下御指南
創価学会秋谷会長外十二名の連名による質問に対する回答・教示
( 創価学会の論難は全く当たらず )
しかるに。池田大作氏の昭和43年の着工大法要の言は、後に挙げるが、『三大秘法抄』の「霊山浄土に似たらん」以下の全文を挙げ、続いて「この法華本門の戒壇たる正本堂」云々として、その事の戒法の戒壇が、まさに正本堂そのものであると、明々白々に示されています。
故に、私の「日達上人に前掲の文があった」として訂正したその趣意は、池田氏の言と同等の意、あるいはそれ以上の表現がなされているというのではなく、『三大秘法抄』『一期弘法抄』の意義を述べられている文があったという意味の訂正なのです。
したがって、時期的な点(『三大秘法抄』を使って正本堂を意義づけした最初である)ということに対する訂正以外に、その内容についても訂正されたとの前提に立つ質問、
(イ)「名誉会長の挨拶が独断であるとの断定は間違いではないか」
(ロ)「一番の元の人はだれか」
(ハ)「名誉会長の慢心の表れであるとの論拠が崩れるのではないか」
(二)「今日の宗門・学会問題の根本原因もなくなってしまうのではないか」
(ホ) 「1月6日、10日のご説法の部分的撤回が妥当ではないか」
等の論難は、全く当たらないのであります。
ただ、「一番の元」との語について、「(その)ような経過の中で大事なこと(は)」と訂正しましたが、私の感じている当時の事態をやや明確にする上から、あえて言うならば、確かに正本堂の意義を『三大秘法抄』『一期弘法抄』に御遺命の戒壇とただちに関運づけての発言は、池田会長が最初ではないかも知れませんが、当時の創価学会大幹部が、二代会長戸田城聖先生の逝去後も広布の情熱をたぎらせ、「広宣流布は学会の手で」の合言葉、及び「日達上人の達は達成の意だから、日達上人の代に広布の達成を」という言葉や意識で、広布の実証を示そうと意気込んでいたことは事実です。
それは、昭和39年4月の大客殿落慶法要における池田会長の、『“三大秘法抄”に「時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり」との大聖人の御聖訓がございます。その時がついにやってきたとの感を深める者は、私ひとりではないと信じます』との挨拶や、昭和40年元旦の、「(正本堂の御供養は)けっして無理はせず、真心の御供養を日蓮大聖人様即日達上人猊下に差し上げましょう。(乃至)日蓮大聖人様のご予言、そして日興上人様のご構想が、日達猊下の時代にぜんぶ達成なされると思われます。じつに、名前におふさわしき日達上人であられます」との発言、また昭和40年7月の「日達猊下のいらっしゃるあいだになんとか達成したい。これが私の精神であります」等の発言をみれば、当時明らかに池田氏をはじめとする学会側に「大聖人の御遺命の達成」という意識があったことは否めないと思います。
(上記科段は、便の為当サイトで添加 )
顕正会の「御遺命守護」に関わる部分のみ、御遺命守護資料館の貴重な資料として抜粋して紹介しました。著作権者からの指摘・要請があれば、相応の対応を検討します。
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