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総本山客殿新築落慶大法要 御法主上人猊下御説法
( 本門戒壇の大御本尊御遷座と正本堂解体の事由 )
( 戒壇建立は宗祖大聖人一期の御大事 )
当客殿の新築落慶慶祝法要は、第一日より本日に至る十日間、宗門史始って以来の大盛況裡に、滞りなくその全てを執り行うことが出来ました。これ誠に仏祖三宝の御照覧のもと、大慈大悲の御加護によるものであり、その大恩を篤く奉謝つかまつるものであります。
そして更には、本宗僧俗の方々が異体同心の団結のもとに、正法護持の志を持って積功累徳の行業に励まれた結果によるものであり、顧みて十日間・二十回の法要の最後に当たり、心より厚く御礼を申し上げる次第であります。
さて、初めより本日の午前の部まで十九回の法要における野衲の登高座においては、宗祖大聖人の御書の中で、主として本尊と題目の意義に関する重文を、それぞれほぼ二回にわたり拝講してまいりました。
そしてこの二十回目の最後の慶祝法要に当たりましては、ただいま拝読いたしました『日蓮一期弘法付囑書』の戒壇建立の御文について、本仏大聖人の大慈大悲による末法万年の衆生救済の大業における正しい信条を拝するとともに、これに関して宗門の過去より当面・乃至将来を展望し、その破邪顕正の具体的実践に関する私の見解並びに方途について、少々申し上げたく思うものであります。
さて、『一期弘法付囑書』における戒壇建立は実に宗祖大聖人一期の御大事であり、三大秘法の御化導における究竟の御指南であります。そしてこの御文の戒壇建立については、国主が『此の法』を立てられる時が条件となっております。
その『国主』とは、時代の推移はあっても仏法と世法の道理の上に、常に仏智を根幹として拝し奉ることが肝要であります。国主でない者や国主の意義に値しない者が、仏法上の『国主』を僭称することは大謗法であります。またこれに関連して、戒壇建立に関する歪曲・専断の解釈を弘める者は、戒壇の大事への反逆であり、本仏大聖人の御化導に弓を引く者であります。そしてその専横が、創価学会第三代会長・池田大作の過去の所行であったことは論をまちません。
蓋し、『一期弘法抄』の「国主此の法を立てらるれば」の文、『三大秘法抄』の「王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて」の文、そして「時を待つべきのみ」の文によるも、より重大な仏法弘通の実現に示されており、過去に池田や一部の創価学会幹部などが軽怱の解釈をしたことは、大きな誤りと言うほかありません。
日達上人も深く御聖文の容易ならざる御意を体され、かつて日本国中の三分の一が純信にして確実な信徒になった時を、ひとまずの目標とされました。故に末法万年の衆生救済の意を含む戒壇建立は、大聖人の御金言による如実の実相を拝すべきであります。この基本を一往申し上げた上で、この度の客殿建設に関する事項より、逐次申し上げる次第であります。
(句読・改行等、便の為に当サイトにて添加 )
顕正会の「御遺命守護」に関わる部分のみ、御遺命守護資料館の貴重な資料として抜粋して紹介しました。著作権者からの指摘・要請があれば、相応の対応を検討します。
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