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   時を論ず
        
  『有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時』とは、国立戒壇建立の世相をお説きあそばされたもので、有徳王・覚徳比丘の乃往とは、立正安国論に涅槃経の文をひいてお示しになっている。いま、その文をひくに、

 立正安国論に云く『
又云く「善男子、過去の世に此の拘尸那城に於て、仏の世に出でたまふこと有き。歓喜増益如来と号したてまつる。仏涅槃の後、正法世に住すること無量億歳なり。余の四十年仏法の末、爾の時に一の持戒の比丘有り。名を覚徳と曰う。爾の時に多く破戒の比丘有り。是の説を作すを聞き、皆悪心を生じ、刀杖を執持して是の法師を逼む。

 是の時の国王、名を有徳と曰う。是の事を聞き已って護法の為の故に、即便(すなわち)説法者の所に往至して、是の破戒の諸の悪比丘と極めて共に戦闘す。爾の時に説法者、厄害を免るることを得たり。王・爾の時に於て身に刀剣鉾槊(むさく)の瘡を被り、体に完き処は芥子(けし)の如き許も無し。
 爾の時に覚徳尋(つ)いで王を讃めて言く、善哉善哉、王・今真に是れ正法を護る者なり。当来の世に此の身、当に無量の法器と為るべし。王・是の時に於て、法を聞くことを得已(おわ)って心大いに歓喜し、尋(つ)いで即ち命終して阿しゅく仏の国に生ず。而も彼の仏の為に、第一の弟子と作る。其の王の将従・人民・眷属・戦闘すること有りし者、歓喜すること有りし者、一切菩提の心を退せず、命終して悉く阿しゅく仏の国に生ず。 覚徳比丘却って後、寿終って亦阿しゅく仏の国に往生することを得て、彼の仏の為に声聞衆中の第二の弟子と作る。

 若し正法尽きんと欲すること有らん時、応当(まさ)に
是の如く受持し擁護すべし、迦葉、爾の時の王とは則(すなわ)ち我が身是れなり、説法の比丘は迦葉仏是れなり。迦葉、正法を護る者は、是の如き等の無量の果報を得ん。是の因縁を以て、我今日に於て種種の相を得て以て自ら荘厳し、法身不可壊の身を成す。
 仏・迦葉菩薩に告げたまわく。是の故に法を護らん優婆塞等は、応に刀杖を執持して擁護すること、是の如くなるべし。善男子、我涅槃の後、濁悪の世に国土荒乱し、互いに相抄掠(しょうりょう)し人民飢餓せん。爾の時に多く飢餓の為の故に、発心出家するもの有らん。是の如き之人を名づけて、禿人(とくにん)と為す。是の禿人の輩、正法を護持するを見て、駈逐して出ださしめ、若しは殺し、若しは害せん。是の故に、我今持戒の人、諸の白衣の刀杖を持つ者に依て、以て伴侶と為すことを聴(ゆる)す。刀杖を持つと雖も、我是れ等を説きて名づけて持戒と曰はん。刀杖を持つと雖も、応に命を断ずべからす
」と。

 以上の文における歓喜増益如来とは、末法今時よりこれを読めば、御本仏日蓮大聖人であらせられる。また覚徳比丘とは、日蓮大聖人の教えを堅く守るものであり、『
爾の時に多く破戒の比丘有り、是の説を作すを開きて皆悪心を生じ、刀杖を執持し是の法師を逼む』とは、今日の邪宗のやからで、たとえば創価学会の活動に対して、自己の収入の減ずるのを憂えて妨害する僧侶のやからのことである。

 また、有徳王とは、正法を守る権力者のことで、たとえば政治家、評論家およびその他の社会指導者を意味するであろうか。また『
爾の時に覚徳尋いで王を讃めて言く、善哉善哉、王・今真に是れ正法を護る者なり。当来の世に此の身、当に無量の法器と為るべし』とは、未来世における功徳の広大無辺を説いたものである。

 しこうして、この経において結論していうのには、禿人といって、職業僧侶すなわち生きんがため食わんがためのみの僧侶が世に充満して、少しも僧侶として世人を救う力のない時代に、国のため、世のため、法のために、
不惜身命のものが現われたときには、その僧侶等は、徒党をつくって迫害するであろう。その時は、その迫害に対して身を守らんがために、その人々は刀杖を執持してもよい。
 しかし、それは身を守るためであって、決して人の命を断ってはならないというのである。

 要するに、大聖人がこの御文をひいて、
国立戒壇建立のときの世相を予言せられたものである。しかし、争いのあることを主としたものではなくて、護法の精神の強いものの現われるときを示したものである。されば、前抄にも述べたように、唯一の正法、弘安二年の大曼茶羅守護のものの数が多くでき、また守護のため強き心を持つものが多くなったとき、その反対の熾烈なることを、お示しになったものであろう。
            

 
                       (大白蓮華 昭和三十一年十月一日)



 御遺命の「本門寺の戒壇」建立の「」は、勅宣・御教書を以て建立する国立戒壇であれば、必ずや熾烈な反対・激しい怨嫉があることは当然であり、その時・不惜身命にして護法の精神篤き者また多くあるべしとの戸田会長の言葉、まことにその通りでありましょう。

 これが「国立戒壇建立のときの世相」であって、大聖人はその時まで「時を待つ可きのみ」と制誡されたことでした。



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