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国立戒壇論
『勅宣並に御教書を申し下して』とは守護付嘱の謂である。この守護付嘱の意が明らかになれば、この『勅宣並に御教書を申し下して』の御文の意が、諒々として明らかであろう。
いま、付嘱論を明らかにするために、日寛上人の撰時抄文段によれば、次のごとくである。
『一には弘宣付嘱、謂く四依の賢聖は釈尊一代の所有の仏法を、時に随い機に随い演説流布するなり、嘱累品に云く「若し善男子・善女人あって如来の智慧を信ぜん者には、当に為に此の法華経を演説し聞知することを得せしむべし、其の人をして仏慧を得せしめんが為の故なり、若し衆生有って信受せざらん者には、当に如来の余の深法の中に於て示教利喜すべし」と。
此の中に余の深法と云うは爾前の諸経なり、既に法華経に対して余と云う故なり、若し台家の意は余の深法只是れ別教、余法深教は即三教に通ず、但し次第三諦所摂を以ての故に爾前の諸経は即是れ三教なり、故に大義異なること無きなり。
二には伝持付嘱、謂く四依の賢聖は如来一代の所有の仏法を相伝受持して世々相継いで住持する故なり、涅槃経第二に云く「我今所有の無上の正法悉く以て摩詞迦葉に付嘱す、当に汝等の為に大依止と作ること猶如来の如くなるべし」等云々。統紀四に此の文を釈して云く「迦葉能く世に継で伝授するを以てなり」
又第五に云く「迦葉独り住持に任ず、是れを以て祖々相伝住持断えざるなり」
「楞厳疏に云く「覚性三徳秘蔵に安住し、万全の功徳を持して失わざる故に住持と云うなり」
今寺主を以て通じて住持と云うは此れ等の意に依るなり。
三には守護付嘱、謂く国王檀越等如来一代所有の仏法を、時に随い機に随い能く之れを守護し法をして久住せしむ、涅槃経第三に云く「如来、今無上の正法を以て、諸王・大臣・宰相・比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷に付嘱す、是の諸の国王及び四部の衆応に諸学人等を勤励して戒定慧を増長するを得せしむべし」
又涅槃経に云く「内に智慧の弟子有って甚深の義を解(さと)り、外に清浄の檀越有って仏法久住す」等云云。此の中に戒定慧は一代及び三時に通ずるなり、若し末法に在っては文底深秘の三箇の秘法なり、具に依義判文抄に曾て之れを書するが如し、故に之れを略するのみ』(富士宗学要集 第四巻 疏釈部三四三ページ)
この守護付嘱において述べるがごとく、『時に随い機に随い能く之れを守護して、法をして久住せしむ』とあるが、『勅宣並に御教書を申し下して』は『能く之れを守護する』に当たるのである。また、『外に清浄の檀越有って仏法久住す』もまた、この意である。もし、これを平易にいうならば、時の権力者および国民大衆に、三大秘法の最高善なることを納得させることであろう。
また『霊山浄土に似たらん最勝の地』とは、現在の富士大石寺ではあるまいか。後に富士山をひかえ、前に広ばくたる平野をもち、はるかに駿河湾をのぞんで、清浄にして広大なる感じをあたえるではないか。
また、『戒壇を建立す可き者か』とは、未来の日蓮門下に対して、国立戒壇の建立を命ぜられたものであろう。
(大白蓮華 昭和三十一年十一月一日)
この戸田会長の、「守護付嘱」を以て論じる「国立戒壇」こそ、本宗の伝統法義でありました。
しかるに池田会長に阿諛した細井管長は、昭和四十五年五月三日・創価学会本部総会において「決して大聖人の仏法を日本の国教にするなどと仰せられてはおりません。日本の国教でない仏法に『国立戒壇』などということはあり得ないし、そういう名称は不適当であったのであります。・・・・・
今後、本宗ではそういう名称を使用しないことにいたします」との、大誑惑の言を為したことでした。
浅井会長はこれを批判して、こう述べています。
『全人類の成仏のためのかけがえのないこの大御本尊を、全人類のために、国家の命運を賭しても守護し奉るのが、日本国の義務であり使命なのだ。そのゆえは、日本国が三大秘法広宣流布の根本の妙国だからである。かかる崇高なる使命を持った国がまたとあろうか。そして大聖人はこの義務を、日本国の国主に示し給うておられる。それが立正安国論における守護付嘱の文であり、三大秘法抄の「有徳王・覚徳比丘の其の乃往(むかし)を末法濁悪の未来に移さん時」の金文なのである』と。
また、『これを「守護付嘱」という。そしてこの付嘱の責務を果す具体的顕現が、実に国立戒壇なのである。では、なぜ守護を国家がするのかといえば、立正安国論に守護付嘱のいわれを説いて云く「是の故に諸の国王に付嘱して、比丘・比丘尼に付嘱せず。何を以ての故に、王の威力無ければなり」と。人類にとってかけがえのない御大法を守護するにおいて、比丘・比丘尼ではその実力において欠ける。ゆえに国家がその責務を全うし奉るのである』と。
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