|
奉安殿建立の意義
( 国立戒壇建立こそ創価学会の唯一の大目的 )
戒壇御本尊奉安殿の設置は、正しく広宣流布への第一実証を意味するのであります。
国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります。
すなわち三大秘法抄(御書全集一〇二二ページ)にいわく 『王法仏法に冥じ仏法王法に合して、王臣一同に本門の三大秘密の法を持ちて乃至勅宣並びに御教書を申し下して、霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か。時を待つべきのみ。事の戒法と申すは是れなり』云云との日蓮大聖人様の御教示は、戒壇建立をもって、三大秘法の仏法の成就であり、帰趨であり、大聖人様の御化導の究竟なりというのであります。
しかして、宗祖大聖人様は、滅後の弟子、地湧(ママ)の使徒に大慈大悲を垂れたまい、この本門戒壇の建立の大偉業を、お残しあそばされたのであります。
なかんずく 『時を待つべきのみ』と御予言なされて六百七十星霜。この間、宗門内外の幾多の法難、幾重もの飛湍も、大御本尊様の加護により、いま、ここに奉安殿建立とともに化儀の広宣流布の歴史的第一ページの段階にはいったわけであります。そして、末法の救世主、日蓮大聖人様の教えを仰ぐ正信の学会人一同の胸臆は、万感にうたれたのであります。
(句読・改行等、便の為に当サイトにて添加)
池田参謀室長(当時、昭和三十一年四月一日)の言葉を、ここにじっくりと味わってみましょう。
「国立戒壇の建立こそ、悠遠六百七十有余年来の日蓮正宗の宿願であり、また創価学会の唯一の大目的なのであります」と。
これ実にみごとに、日蓮正宗の宿願と創価学会の唯一の大目的とを、一言で語り尽くした「名言」と言うべきでありましょう。
まさに・まったくそのものズバリであって、余計な解釈や解説などをかりそめにも寄せ付けない、きっぱりとした厳しさと明晰さ。それがこの短い<言葉>に凝縮されていることだと、わたしには感じ取れることでした。国立戒壇を語って、これだけの至極のフレーズを残した人は、他にそうはいないことでしょう。
しかしながら悲しいかな、その言葉は見せかけ・飾りもの、でしかありませんでした。戸田会長の目の黒いうちはこうして組織遊泳のため、上辺だけはしっかりと<信心強情>を装っていたのでありましょう。
(
平成十三年十二月八日、櫻川 記 )
戻る 次
|
|
|