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     奉安殿建立の意義

   ( 奉安殿落成式ならびに御遷座式

 立宗七百三年、十一月二十三日。この日は、永久に歴史的な慶日となったのであります。

 この日、全山紅葉し、大気清澄の日蓮正宗総本山大石寺においては、法灯連綿として七百年、御開山日興上人いらい厳護したてまつった、一閻浮提総与の
国立戒壇の大御本尊様を安置したてまつる戒壇御本尊奉安殿が落成し、落成式ならびに御遷座式が荘厳に挙行されたのであります。

 広布の暁鐘に霊峰富士は秋空に絵のごとく、時まさに午前十一時!
 六十四世御法主水谷日昇上人猊下、堀日亨御隠尊猊下をはじめたてまつり、全僧侶が出仕、学会からは会長戸田先生のもと支部旗、青年部旗を先頭に、大幹部、地区部長等、会員三千二百余名の参列があり、おごそかに落慶の式が行なわれたのであります。
          
 ついで午後二時、御法主猊下の先導にて、戒壇の大御本尊様の御遷座、続いて高野宗務総監の先導で最初仏様、堀米尊能師の先導で御霊骨の三度の遷座の儀式があり、ひきつづき初御開扉が行なわれ、午後五時、厳粛のうちに霊山の式は終了したのであります。
 ここに代々の御法主猊下の大御本尊秘蔵したてまつる御宝蔵より、時に応じ、機に応じ、奉安殿にお遷し申し上げた意義は、まことに甚深であり、狭義より広義に移る大前提であり、守護より正法の大発展興隆を意味するものと信ずるものであります。

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 富士門家では普通、「本門戒壇の大御本尊」と呼び奉るところですが、池田参謀室長はここでは国立戒壇の大御本尊様」と、いささか異色な呼びようで呼んだことでした。
 教学の基礎的素養があれば、「戒壇の大御本尊」への形容はどうしても「本門戒壇」、あるいは「本門寺の戒壇」となるべきところでありましょう。もし国立戒壇を強調するなら、「国立戒壇にお出ましになる」という形容になることでしょう。
 
 このあたりの些細な言い回しに着目して見るならば、やや意地悪く言えば当時の池田参謀室長教学のありようがうかがえると共に、歴代猊下・そして戸田会長の口まねとはいえ、かえって彼はこの時点においては「
国立戒壇」を素朴・愚直に信奉していたようだと、推測してみることもできるかもしれません。

                             ( 平成十三年十二月九日、櫻川 記 )

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