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国立戒壇の建立と学会員の前途
( 国立戒壇として建立されることは必然 )
会長先生は、次の七百年目に、勅使のきたる建物というべき、大客殿の建設をいいのこされて逝かれた。その場合『台湾の檜、ガンジスの砂、カナダの杉をもってせよ』とのおことばだった。
世界にわたる大宗教にふさわしく、建築にも心を配られた戸田先生の偉大さをしのびつつ、学会員一同、弟子として、実現への自覚を、さらにもたなくてはなるまい。
先生はまた『大客殿のその後に、本堂の建立をしなくてはならない』と申されておられた。国立戒壇建立の際には、大御本尊様が奉安殿より正本堂へお出ましになることは必定と思う。
次に会長先生は『皇城等の建設をせよ』といいのこされて逝かれた。このことについては、先生みずから、実地に下検分されるほどの広布実現への尊姿を拝したものである。
恐れ多くも、戒壇堂を中心としての一大仏教都建設のお考えは、口伝等により、御法主上人猊下の腹中におわすとはいえ、会長先生の熱烈たる本山に尽くす忠誠を、われら学会員の指針としなくてはなるまい。
広布実現の暁には、天皇陛下の拝む紫宸殿御本尊様と申し上げる御本尊様が、総本山にあられる。よく戸田先生は『天皇が信心をしたいといってきたときに、他の邪宗では、御本尊様をおあげすることができるか』と。
また『天皇が信仰するまで、戸田は待つ。戸田は日本第一の忠義な者である』という意味のことを申されておられた。先生の申されたことが、ただひとつとして成就されえなかったことはない。いよいよ広布の実現をめざして、精進すべきである。
皇太子妃が、伝統を破って民間より出たことは、真実の民衆の声、真実の民衆の仏法、真実の国を救う正義が皇室へ通ずる段階にきたといえよう。
昔からみれば、近代文明の発達にともなって、交通、通信の急速なる進歩は、正法流布への一大要素ともなってきている。
また、国立競技場、国立美術館、国立公園等も、すべて国民の要望であり、国民のものである。宗教にあっても、最高の宗教が国民の幸福のために、国立戒壇として建立されることは、必然でなくてはならぬ。
(句読・改行等、便の為に当サイトにて添加)
池田総務(当時)の宣言に云く、「国立戒壇建立の際には、大御本尊様が奉安殿より正本堂へお出ましになることは必定」と。
また云う、「戒壇堂を中心としての一大仏教都建設のお考え」は、「われら学会員の指針としなくてはなるまい」と。
そして、「国立公園等もすべて国民の要望であり、国民のものである。宗教にあっても、最高の宗教が国民の幸福のために、国立戒壇として建立されることは、必然でなくてはならぬ」..と。
(
平成十三年十二月十六日、櫻川 記 )
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