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国立戒壇の建立と学会員の前途
( 御教書を下すべき礎としての法戦 )
歴史は、専政、独裁政治より、主権在民の政治に移り、最高の世論が議会に反映されていく方式が、初めて正しい仏法を守り、流布していくことになるのである。それには、同志をたくさん議会に送らねばならない。
大聖人様、土木殿御返事(御書全集九六三ページ)にいわく『日蓮死生不定為りと雖も、妙法蓮華経の五字の流布は疑い無き者か
… 但し定慧は存生に之を弘め円戒は死後に之を顕す、事相為る故に一重大難之れ有るか』
また、目興上人、富士一跡門徒存知の事(御書全集一六〇七ページ)にいわく『茲に日興云く、凡そ勝地を撰んで伽藍を建立するは仏法の通例なり、然れば駿河国富士山は是れ日本第一の名山なり、最も此の砌に於て本門寺を建立すべき由奏聞し畢んぬ、仍つて広宣流布の時至り国主此の法門を用いらるるの時は、必ず富士山に立てらるべきなり』
会長先生が『信心は大聖人様に帰れ』と、常日ごろ申されていた。学会精神は戸田先生の精神である。戸田先生の精神は仏の御金言への遂行である。
三月十六日、岸総理代理の参詣にあたって『広宣流布の模擬試験をしておくよ』とのおことばが、脳裏より離れない。本年は文化闘争も激しいことであろう。御教書を下すべき礎としての法戦であるがゆえに、おおいにがんばらなくてはならない。
『国主信伏造立の時至らば、智臣大徳宜しく群義を成すべし』 各々の境遇にあって、広宣流布の人材と育っていかなければならない。
先生は、婦人部へは『広宣流布は婦人の手で』と申された。教学部へは『世界の思想を指導するのは教学部の使命である』 学生部へは『りっぱな学者に、力ある経済家になって、広布に励め』 青年部へは『広宣流布の推進たれ』 各支部には『広布の牙城を造れ』と。
仏意とはいえ、刻々と近づく広宣流布への実感は、どうしようもない。ひとりも、もるることなく、功徳をいただきながら、本年も邁進しょうではないか。
(当時、総務)
昭和三十四年一月一日
(句読・改行等、便の為に当サイトにて添加)
戸田会長は、「ただ夢のごとく言いならされて」来た国立戒壇建立を、創価学会の唯一の大目的と定め、その実現の大前提として「本尊流布が徹底的になされなければならぬ」し、並行して「政界に国立戒壇建立の必要性を、十分に理解させ」る「文化活動」の必要性を示し、その理解のためには「一般大衆の支持」が必要であり、それには「言論界の理解を根幹とすべき」であると、具体的な方法を提示したのでした。
「御教書を下すべき礎としての法戦」とは、この二つに他ならないことでした。そしてそれにはまた一国を挙げての怨嫉あることは当然であり、「但し定慧は存生に之を弘め円戒は死後に之を顕す、事相為る故に一重大難之れ有るか」(土木殿御返事)とは、その「至難事中の至難事」たることを冥説されたものでありましょう。
しかして、池田総務はやがて会長職を襲い、この「学会精神」・「戸田先生の精神」を踏みにじって創価学会を私物化。ついには御遺命破壊に至ること、また時のしからしむるところなのでありましょう。
(
平成十三年十二月十七日、櫻川 記 )
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