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     会長先生と青年部

 
 『
この車駕(しゃが)は大きすぎる。これでは戦闘の役には立たない。指揮がおくれる 』と。
 三月十六日、岸総理のお家族を、本山に迎えたときのことである。先生のおからだは、すでにお悪かった。ゆえに青年部二十名は、先生をお抱えするようにして、車駕にお乗り願ったのであった。

 だが、先生の強い叱咤激励は、最後まで、地湧の菩薩の棟梁としての、毅然たる、お姿であった。しかも厳然と御本山を守る先生の身・口・意三業のおふるまいは、十六日結集した、六千名の青年部員の胸に、生涯、ぬぐい去ることのできない印象となって永久に残ることとなった。 

 そして、意義ある総登出も無事に終わった四月二日、突如、会長戸田先生の御逝去の報がもたらされた。一瞬、だれびとも茫然自失、ある者はわれとわが耳を疑い、ある者は悲しみの涙にむせぶのであった。しかし、ただ、嘆き悲しむだけでは、先生の真の弟子とは申されない。 

 先生は、あくまで末法広布の総帥として御出現あそばされ、いま、いっさいの願業を達成なされて、安らかに寂光の宝刹へ帰りたもうたのである。
 ゆえに、われわれ青年部は、いまこそ
先生の御遺命となった国立戒壇建立に向かって、怒涛のごとく大進軍せねばならないのである。

 先生は、つねひごろ『
星落秋風五丈原の歌』を愛好せられた。いや、愛好せられるより、総会、幹部会等に歌うたびごとに、感動の涙にむせばれるのであった。それはなにゆえであろうか。
 かつて私たち青年部が、初めて、この歌を御披露申し上げたところ、涙ぐんで幾度も幾度も聞かれ、そしていわれるには『
この諸葛孔明の心境こそ、学会精神である」と。
 まさに内外から、アラシのごとき批判を受けて立つ、会長戸田先生のお姿は、また山をも抜く先生の御本山への偉大な御奉公は、かの諸葛孔明が、
先帝の遺命にこたえる誠忠一途の精神と、まったく相通ずるがゆえである。
 先生こそ、現代の宗教界にあって、中原鹿を争うがごとき、覇道、権力を退ぞけられ、敢然と王佐の任を完うせられた、だれひとりの大偉人であらせられる。(略)

 あの先生の、青年訓を熱読し、実践して、歓喜し、勇躍せぬ者はひとりもいない。されば、彼の
青年訓国士訓は、学会青年部の指針であり、さらに世界の青年に対する、比類なき、不朽の御金言であり、暗夜を照らす巨大な灯明となって、永遠に青年部の前途を照らすことであろう。

 遙か、明治維新の革命も、吉田松陰の尊皇の理論が、松陰の死後に久坂玄瑞、高杉晋作等の少壮気鋭の弟子たちによって、実践され、具体化され、実現されていったのである。
 全国十数万の青年部諸君、われらもまた、古人に遅れず、会長
戸田城聖先生の遺弟として、われらの目的たる、信・行・学に励んで、各自の幸福を築き、さらに国立戒壇建立の大偉業を、りっぱに果そうではないか。

 先生は会長就任いらい、七年にして
化儀の広宣流布原理と、基礎を完成なされた。

 理事長の下、青年部は次の七年をさらに信・行・学に励み、りっぱな人間革命を成し、次の七年には、社会において、また学会において、その中堅幹部として立ち、最後の七年には、広布の仕上げの闘争を遂行し、そして会長戸田先生の二十一回忌に、目的実現の決戦を、断行しゆく決意をもって前進しようではないか。三月二十九日、青年部への最後の指示は『
一歩もしりぞくな、追撃の手を弛めるな!』の指揮であらせられた。 

 大樹ひとたび倒れたが、大樹の根に連なる若き青年部の樹木が、すくすくと育ち、やがて大空をおおう日も間近であろう。最後に、われら青年部も、今世の使命をおのおの遂行し、
霊山会へ、会長先生に御報告にまいろうではないか。

                                (当時、参謀室長)
                                 昭和三十三年五月一日
                                 大白蓮華誌上

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 池田参謀室長(当時)は、「いまこそ先生の御遺命となった国立戒壇建立に向かって、怒涛のごとく大進軍せねばならない」と、国立戒壇建立戸田会長の遺命であることを述べ、「会長戸田城聖先生の遺弟」として、「われらの目的」たる、「国立戒壇建立の大偉業を、りっぱに果そうではないか」と語ったことでした。

 そして「
今世の使命をおのおの遂行し、霊山会へ、会長先生に御報告にまいろうではないか」と。
 その池田参謀室長も、いまや老いて余命幾ばくもなし。霊山の戸田会長に会わせる顔とてもないでしょうが、 霊山とは無縁の池田名誉会長にあっては、その心配もいらぬことでありましょう。



                           ( 平成十三年十二月二十四日、櫻川 記 )


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