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民衆の総意で戒壇建立
十万達成を終えまして、本日はりっぱな総会ができましておめでとうごぎいます。心からお喜び申し上げます。(略)
国立戒壇の建立は日蓮正宗の願望であり、また会長先生の、創価学会の目的でございます。国立戒壇建立といえば、一般の人々は、国家の特権や国家の圧力をもって戒壇を建立するというように考えがちでございますが、会長先生は、後楽園の総会の席上において『日本国民のひとりひとりが大御本尊様の功徳を納得して、初めて広宣流布ができるのである』といわれました。
すなわち日蓮大聖人様の仏法、大御本尊様の功徳が全民衆にいきわたって、その世論として国立の戒壇ができるということを知らせていかなければならないと思うのです。
国立戒壇建立ということを考えると、即座に一般の人々は日蓮正宗を国教にするのではないか、創価学会の目的は、政界にたくさんの政治家を出して、日蓮正宗を国教にするのだというようにみられてまいりました。
そのときに会長先生は『まったく、そんな意図はない』とおおせられました。創価学会の戦いは、あくまで日本の国のしあわせと、東洋、世界の、人類の救済しかない。国立戒壇建立ということに対しては、あくまで、日蓮大聖人様の至上命令であるが、大聖人様も国教にするとはおおせになっていらっしやらないと思いますし、会長先生もそんな意図はないとおっしゃる。
これをしみじみ私どもが考えたときに、国立戒壇ができ上がっても、その国立戒壇は日本一国のものではない。大聖人様の仏法は一閻浮提総与の大御本尊様である。全世界にわたっての宗教であります。日本の国立戒壇の建立ということは、全世界の国立戒壇に通じていくと、私は信ずるものでございます。そうした場合に、日本の国で日蓮正宗を国教としてしまったならば、はたして、朝鮮や中国が用いるかどうか、ヨーロッパの民衆が用いるかどうか。
大東亜戦争当時の天照大神を押しつけていったというふうな苦い経験もありましたが、あくまでも会長先生のおことばに深い深い意味がある。私どもはあくまでも思索し、間違いなく実行していかなければならないと思うしだいでございます。会長先生が、青年部結成初めての大会のときに、旧本部において『日本の広宣流布はもちろんであるが、大聖人様の御命令は、結局は東洋の広宣流布にある、世界の民衆のしあわせにある。これを忘れてはならない』と申されました。
また本年三月十二日に、非常に先生のおからだの具合がよくて、理境坊の二階の廊下にお出ましになったそのときに、もう日本の国の広宣流布は原理はできているし、自然になっていくのだよ。あとは東洋だ。そのときには満州のほうはこういうふうにしなければならない。中共のほうはこういうふうに考えなくてはならない。インドのほうは、こういうようにしたいものだということを、何回も何回も申されておりました。また青年部の源泉である水こ会で三年、四年にわたる薫陶のいちばん最初も、東洋の本を読ませてくだされ、また本年三月の未まで、東洋の本を青年に読め読めといわれておりました。
われわれ青年部は、先生の御理想に向かって、しつかりと団結して前進していこうではございませんか。先生は青年部に『礼儀正しく、そして勇ましくあれ、沈着にして剛毅であれ、信仰深くして、行学に励んでいく青年になっていかなければならない』と申されました。私どもは社会にあっても、支部内にあっても、学会にあっても、謙虚な気持ちで礼儀正しく、いろいろなことを勉強していくということを忘れないように、そのかわり天魔の働きや、三類の強敵がおそいかかってきたときには、阿修羅のごとく力を出しきって戦っていきたいと思うのでございます。
諸君の健闘を心より祈りまして、私のあいさつといたします。
(当時、参謀室長)
昭和三十三年十二月七日
第七回男子部総会
両国日本大学講堂
参加人員三〇、〇〇〇名
(句読・改行等、便の為に当サイトにて添加)
池田参謀室長(当時)は、「国立戒壇の建立は日蓮正宗の願望であり、また会長先生の、創価学会の目的」と、嚇々たる言葉で語っています。
そして「日蓮大聖人様の仏法、大御本尊様の功徳が全民衆にいきわたって、その世論として国立の戒壇ができる」のであると。
しかして、「国立戒壇建立ということに対しては、あくまで、日蓮大聖人様の至上命令である」と述べながらも、「大聖人様も国教にするとはおおせになっていらっしやらない」と、やや腰が引けたことでした。
「国立戒壇は日本一国のものではない」し、「日本の国立戒壇の建立ということは、全世界の国立戒壇に通じていく」ことは、日蓮大聖人の宗教思想にあってしかるべし、でありましょう。
日蓮大聖人の教えとは、「速に実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰んや」(立正安国論)であり、「本門の三つの法門之を建立し、一四天四海一同に妙法蓮華経の広宣流布疑い無からん者か」(法華取要抄)であり、「一閻浮提の内八万の国あり其の国国に八万の王あり王王ごとに臣下並びに万民までも乃至・広宣流布せさせ給うべきなり」(撰時抄)であり、「法華経の大白法の日本国並びに一閻浮提に広宣流布せん事も疑うべからざるか」(同)であり、「日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、(略)日本乃至漢土月氏一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし」(報恩抄)であり、「本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を、一閻浮提の一切衆生に唱えさせ給う」(下山御消息)であり、「法華経の肝心諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字、末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき」(種種御振舞御書)であり、「此の人末法に出現して、妙法蓮華経の五字を一閻浮提の中・国ごと人ごとに弘むべし」(妙密上人御消息)であり、「本門の教主妙法の五字、一閻浮提に流布せんこと疑無き者か」(波木井三郎殿御返事)でありました。
一閻浮提の国々が、自国と自国民の繁栄の為に三大秘法に帰依するか否かは、またそれぞれの国・国民が自ら決めることでありましょう。「日本の国で日蓮正宗を国教としてしまったならば、はたして、朝鮮や中国が用いるかどうか、ヨーロッパの民衆が用いるかどうか」などと遠慮する必要は元よりなく、却って法を下げるのみでありましょう。
(
平成十三年十二月二十六日、櫻川 記 )
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