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     これでも池田大作を信ずるか -- 創価学会の友に訴える --

       第一章 信じ難い現実
        
どれが本当の指導なんだ

  
矛盾に気づかずにいた私達創価学会員

 4) 「
正本堂の建立は事実上本山における広宣流布の体制としてはこれが最後なのでありまず。したがってあとは本門戒壇堂の建立を待つばかりになります。したがって全体的な御供養といたしましては、今度の正本堂の御供養だけで、いっさい将来はいたしません」(昭和39年5月3日、第二十七回総会での池田会長講演)

 この辺までは、池田会長の指導も一貫しているし、日蓮大聖人の御金言を無視するようなところも見られない。“
あとは本門戒壇堂の建立だけを待つばかり”と、正本堂が事の戒壇ではないことも、はっきりと述べている。
 ところが、この講演から一年過たないうちに、正本堂は「本門事の戒壇」になってしまうのである。

 5) 「
戒壇の大本尊様が、いよいよ、奉安殿よりお出ましになって、正本堂に御安置されることを、正式におおせくだされたのであります。かねてより、正本堂建立は、実質約な戒壇建立であり、広宣流布の達成であるとうけたまわっていたことが、ここに明らかになったのであります」(昭和40年3月26日 「正本堂建立御供養趣意書」 池田会長)

 6) 「
御本仏日蓮大聖人様の御遺命たる本門戒壇建立のため、広宣流布のため、正本堂建立に御供養申し上げる、大福運と大功徳は、釈尊在世よりも、数千万億倍すぐれ、日蓮大聖人御在世中よりも、なお偉大なる感激を覚えずにはいられない」(「大白蓮華」 昭和40年10月号 巻頭言)

 となってきて、正本堂のあとに“
待つばかり”だった本門事の戒壇が、いつの間にか正本堂と同一のものになってしまった。
 私達創価学会員は、こんな矛盾に気づきもしないで、必死になって御供養金の捻出に苦労したのである。

 昭和四十年当時の日本の状態からして、四十七年の正本堂完成の時期に広宣流布が達成されるとは、冷静に考えれば、まず信じられなかったはずである。広宣流布が達成されたときにこそ本門戒壇を建立せよ。との厳然たる御金言があるにもかかわらず、本門戒壇を建立してしまうという矛盾に私達創価学会員は気がつかなかったのである。

                       ( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加 )


 下山正行氏が指摘するように、「
正本堂の建立は事実上本山における広宣流布の体制としてはこれが最後なのでありまず。したがってあとは本門戒壇堂の建立を待つばかり」であったのが、いつのまにか「正本堂建立は、実質約な戒壇建立であり、広宣流布の達成」にスリカエられたことでありました。

 その「
矛盾に私達創価学会員は気がつかなかった」と下山氏は語るのですが、正本堂が消滅した今日になってもいまだその矛盾に気付かない人々は、創価学会員だけでなく法華講員にも数多いることでした。その故は、貫首がその誑惑を助け・誑惑に加担したからでありました。
 「
御法主上人猊下に信服随従」する法華講員諸氏もまた、その矛盾から目を背けることにおいて創価学会員と異ならないことでしょう。

                        ( 平成十四年五月十五日、櫻川 記 )


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