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これでも池田大作を信ずるか -- 創価学会の友に訴える --
第一章 信じ難い現実
どれが本当の指導なんだ
( 正本堂と本門戒壇堂がいつの間にか同一に )
もっとも、あえて自己弁護をすれは、私達創価学会員がこんな大きな矛盾にも気がつく暇がないくらい、池田会長や創価学会の熱気のある指導が、やつぎばやに、そのころは行なわれていた。
7) 「正本堂建立こそ、日蓮大聖人の御遺命たる本門戒壇建立の具体化であり、宗門七百年来待望の壮挙ということができるのである。……日蓮大聖人御建立の三大秘法は、われわれ創価学会員の手による正本堂建立をもって完全に終了するのである」(「立正安国論講義」)
8) 「この戒壇建立を、日蓮大聖人は『時を待つ可きのみ』とおおせられて、減後に託されたのであります。以来、七百年、この時機到来のきざしはなく、日蓮大聖人のご遺命は、いたずらに虚妄になるところでありました。だが『仏語は虚しからず』のご金言どおり……七百年来の宿願である正本堂建立のはこびとなったのであります」(昭和42年5月第三十同総会での池田会長講演)
9) 「今滋に発願せる正本堂は、文底独一本門事の戒壇にして……詮ずる所、正本堂の完成を以て、三大秘法ここに成就し」(「正本堂建立発誓願文」)
10) 「戒壇については、すでに三大秘法を成就する本門の戒壇・正本堂が昭和四十七年完成の運びとなり」(「折伏教典」)
11) 「昭和四十七年(一九七二年)、日蓮正宗総本山大石寺に建立される正本堂が事実上の本門戒壇にあたる。この戒壇は仏法史上三千年来の念願であり、末法事の戒壇にして、日本民衆の鎮護国家のみならず……」(「仏教哲学大辞典」創価学会刊)
12) 「本門の戒壇に義と事がある。事の戒壇とは広宣流布のときに本門戒壇の大御本尊を安置し奉る所である。……広宣流布の時到来し、本門戒壇の大御本尊は奉安殿から本門戒壇堂である正本堂へお出ましになるのである」(同上)
13) 「正本堂が建立され、本門戒壇の大御本尊がご安置されることは、本門の戒壇建立、すなわち化儀の広宣流布の実現である。……今まさに、本門戒壇建立の時である。すなわち大御本尊を信受し、功徳に浴し、歓喜している衆生が、日本ばかりでなく世界に満ち、日蓮大聖人のご予言である化儀の広宣流布の時が到来したのである。ここにおいて、法華講総講頭・創価学会第三代会長池田会長の発願により、これ等純信な民衆の心からの供養によって、正本堂の建立が実現されることになった。したがって、本門戒壇の大御本尊が安置される正本堂こそ、日蓮大聖人の弟子が長い間待望し、念顕していた本門戒壇なのである。……したがって正本堂建立により、日蓮大聖人が三大秘法抄に予言されたとおりの相貌を具えた戒壇が建てられる。これこそ化儀の広宣流布実現であり」(同上)
きりがないから、引用はこのくらいにする。
引用文にいわれている「正本堂」とその後に建立されるはずの 「本門戒壇堂」がいつの間にか同一になり、同一になったままにより強固に指導された様子が、これらの引用文からよく理解できると思う。
( 句読・改行等、便の為に当サイトにて添加
)
下山正行氏が語るように、「矛盾にも気がつく暇がないくらい」に昭和四十年三月二十六日の 「正本堂建立御供養趣意書」以来「熱気のある指導がやつぎばやに」なされ、それがやがては宗門の公論のごとくになっていったのでありました。
(
平成十四年五月十七日、櫻川 記 )
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